生の哲学 価値の転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 02:29 UTC 版)
「ドイツ現代思想」の記事における「生の哲学 価値の転換」の解説
生の哲学は、ニーチェ、キェルケゴールなどのしばしば匿名で書かれた文学的なエッセイとして現れていたが、先鞭をつけたディルタイは生について歴史の流れの中にある客観的精神体であり、哲学の出発点をなすべき基本的事実であるとした。生の哲学がドイツの現代思想に与えた影響はきわめて広く、かつ、強力で影響をうけなかった者はほとんどいないといっても差し支えのないものであった。ヘーゲルの哲学体系においては、真・善・美は理性によって担保されるものであったが、生の哲学は価値の転倒を図り、理性は生に従属する道具的なものすぎないと主張した。それは、科学が飛躍的に発展した時代における、人間が世界おいて占める地位に対する重要な異議申し立てであった。理性に対する生について、ショーペンハウアーはただ生きんとして生きる盲目的な暗い意志としていたが、ニーチェは彼とは反対にすべてを我がものとし、支配し、超え出て、より強くならんとする権力への意志とした。このタイプの生の哲学は、フロイトの無意識と合流を果たす。第一次世界大戦後の退廃的な雰囲気の中出版されたオスヴァルト・シュペングラーの主著『西洋の没落』(Der Untergang des Abendlandes) は爆発的に売れ、講壇を超えた影響力を持った。彼によれば、ある文化形態は一つの生命であり、歴史は生の表出である。一つの生命である以上発展はするが、必ず没落し、その歴史の中で文化に規定された目標を達成することはできるが、それ自体に意味はなく、生は本来的に暴力的であり、不正であるとし、いくつかの文化の諸形態を分析した上で、西洋文化は没落を約束されているというのである。生の哲学は、自然主義と歴史主義という大きな時代の流れにあって、ただ一度きりの代替のきかない歴史の中で規定されて生きる人間に焦点を当てたのであり、様々な方面から強い批判にさらされやがて消滅したものの、その問題意識は、新カント派、哲学的人間学、実存主義、後期フッサールの生活世界の概念やハイデッガーの存在論に引き継がれていくのであった。
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