生の哲学 実存主義の先駆者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 21:36 UTC 版)
「19世紀の哲学」の記事における「生の哲学 実存主義の先駆者たち」の解説
19世紀は「歴史の世紀」とされ、ランケが創始した歴史学は新しい学問として発展し、広まっていった。しかしながら、自然科学と異なり、これに対置される歴史学、法学、経済学などの精神科学は不明朗な学問として学説が乱立し、意見の一致をみることができなかった。そのような時代において、フリードリヒ・ニーチェは、先駆的な論文「生に対する歴史の功罪」(1874年) において、歴史主義の克服を初めて説いた人物である。彼にとって歴史学は純粋科学たる数学とはその本質が異なり、歴史学が科学としての客観性を偽証するときに、すべての価値はその無限の歴史の流れの中に投げ出されて破壊され、永遠の絶望と懐疑をもたらすが故に、歴史学は学問であることを止め、生に従属されなければならないとした。そこでは、自然主義に立つ科学と生がそれぞれ自律した領域であるべきであるという問題意識が、当時目覚ましい発展を遂げつつあった歴史学を批判する形で示されたのである。ニーチェは生の哲学の先駆者とされる。キルケゴールなどのしばしば匿名で書かれた文学的なエッセイとして現れていたが、先鞭をつけたヴィルヘルム・ディルタイは生について歴史の流れの中にある客観的精神体であり、哲学の出発点をなすべき基本的事実であるとした上で、自然科学と精神科学を区別し、歴史的認識を範型とする精神科学の認識論的特質は体験・表現・理解の連関に基づいているとした。この連関は「生」の自己解釈であり、歴史はこの個々の自己解釈のあらゆる客観化の総体であるとされ、歴史主義に哲学的な基礎が与えられたのである。
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