理想の暮らしを求めて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:48 UTC 版)
1905年に、兵役を逃れるため病気を理由にシンガポールへ脱出。半年ほどで日露戦争が終わったため帰国し、1907年に材木問屋の娘、津越光恵と結婚、前年に自らの設計で建てたバンガローで新婚生活を送った。1909年にはヨーロッパ各国とアメリカを巡る世界一周の旅をする。1911年に叔父の誠之助を大逆事件で失ったことから、政治的な活動家たちとは離れ、代わりに、1915年に自ら設計した洋風の自邸を再び建て(現在の西村記念館)、与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻、画家の石井柏亭、彫刻家の保田龍門、陶芸家の富本憲吉といった芸術家たちを東京から招き、地元作家である佐藤春夫らも交えて、文化人との交流を深めていった。1919年に最初の著作『楽しき住家』を出版、1920年には兵庫県御影町に西村建築株式会社を興し(1927年には東京銀座でも開業)、1921年からは、与謝野夫妻の『明星 (文芸誌)』に「『家』のこと」と題した建築論の連載を開始した。伊作が理想とする新しい衣食住の研究のため、与謝野夫妻、堺利彦、沖野岩三郎を顧問に「西村芸術生活所」も新設し、芸術的生活の啓蒙雑誌の刊行や、駿河台に日本人に生活改善を教えるためのホテル建設、小田原に芸術家用の文化住宅を集めたコロニーの建設などを計画した。
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