世界一周の旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 01:13 UTC 版)
出発前夜、母親から旅に出る理由を尋ねられたカルリンは「旅に出なければいけないの。私の中に私を旅へと突き動かす何かがあって、それを無視することはできないの」と答えた。彼女を旅へ突き動かしたものや旅の目的については、彼女の次の言葉が明かしている。「この先見るもの、学ぶこと、成し遂げること。そして旅の中で発見することや私が持ち帰るもの、この世界にもたらすもの。これら全て」。第一次世界大戦終結の一年後、30歳と1ヶ月を迎えた1919年11月24日、僅かな貯金とともに出発した。まず初めに日本への入国を目指していたが、経済的な状況が許さず、また、必要な書類が揃わなかったため、「すべての道はローマに通ずるのであれば、いずれ必ず日本にも辿り着くだろう」と考え、イタリアのジェノバからペルー最南端の港モレンド行きの船に乗った。 ペルーからパナマ、アメリカ、ハワイへと渡った後、ついにカルリンは日本に到着した。その後、朝鮮、中国、台湾に渡り、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、バヌアツ、ソロモン諸島、パプアニューギニア、インドネシア、タイ、インドを経て、8年後の1927年12月28日に帰国したと考えられている。
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