世界一周の偉業とは? わかりやすく解説

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世界一周の偉業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 08:25 UTC 版)

フランシス・ドレーク」の記事における「世界一周の偉業」の解説

1577年12月13日排水量約300tのガレオン船ゴールデン・ハインド号を旗艦とする5隻の艦隊で、プリマス港を出航大西洋からマゼラン海峡経て太平洋進出しチリペルー沿岸スペイン植民地や船を襲って多大な財宝を奪う。 その中にはスペイン王財宝満載したカカフエゴ号などが含まれる。カカフエゴ号には銀26t、金80ポンド貨幣装飾品13箱など合計20ポンド相当が積載されていたとされる途中のサン・フリアンにて、遠征出航功労者親交深かったトーマス・ドウティを、6月30日に自ら裁判長として軍事裁判にて反逆罪として処刑した遺体丁重に埋葬されたという。 その後太平洋横断してモルッカ諸島に、さらにインド洋から喜望峰回ってイギリスへ帰国しフェルディナンド・マゼランに続く史上二番目世界一周達成した。この途中1578年ホーン岬ドレーク海峡発見している。 1580年9月に、生き残ったゴールデン・ハインド号のみがプリマス港に帰港し女王エリザベス1世を含む出資者達に4700%とも言われる配当金支払ったイングランド王室の取り分30ポンド越え、これは当時歳入(20ポンド程度)よりも多く、この臨時収入により王室溜まっていた債務全て清算できたうえに、国策会社レヴァント会社増資することができ、これは後の東インド会社設立基礎となったドレークはこの功績により、イギリス海軍中将任命される同時に叙勲サー称号)を受ける。

※この「世界一周の偉業」の解説は、「フランシス・ドレーク」の解説の一部です。
「世界一周の偉業」を含む「フランシス・ドレーク」の記事については、「フランシス・ドレーク」の概要を参照ください。

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