王冠の法的効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 08:33 UTC 版)
「聖イシュトヴァーンの王冠」の記事における「王冠の法的効果」の解説
詳細は「聖なる王冠の理論(ハンガリー語版)」を参照 イシュトヴァーン1世は戴冠式において、Nagyboldogasszony(聖母マリア)と王冠との契約を守るため、聖なる王冠に忠誠を誓った。Nagyboldogasszonyは単にハンガリー王国の守護者というだけでなく、「女王」という意味も込められている。この契約は、将来にわたって君主に聖性を付加するために、また聖冠の教義(Doctrine of the Holy Crown)を基礎とする政治体制を強化するために行われた。 カーロイ1世は生涯に3回戴冠式を行っている。これは、1310年の聖冠による戴冠以外は正式な戴冠として認められなかったためである。このように、戴冠は法的な義務として認識されてきた。他にも、聖冠の権力を示すより近年の例としてはこのようなものがある。第一次世界大戦後のハンガリーにおいて、カール1世はハンガリー王位を取り戻そうとして失敗し(カール1世の復帰運動)、ハンガリー王は空位となった。それから1946年に共和政体が敷かれるまで、ハンガリーは王がいない王国を続けた。 そうなると、聖母マリアが名目上のハンガリー王として考えられるが、摂政のホルティ・ミクローシュがプロテスタントであったため叶わず、Szent Korona Állameszményがその替わりとなった。これは、聖冠をハンガリーの法的代表として、聖冠が単独で君主や国家の根幹としての権力を担うという考え方である。この考えに基づくハンガリーの公法では、聖冠は国の主権を表現し、正統な君主と特権諸身分との間の有機的統一を確立し、ハンガリーのすべての法源を構成するものとされた。これは「聖なる王冠の理論(ハンガリー語: Szent Korona-tan)」と呼ばれる。この考えは、ハンガリーの右傾化を促進した。聖イシュトヴァーンの王冠の地の再保障を目指した右派は、最終的にアドルフ・ヒトラーの第三帝国に結びつき、第二次世界大戦の悲劇を生み出すに至った。 ハンガリーの公文書や紋章に以前と同じように聖冠が使われていることは、近隣諸国にとって論争の的であった。トリアノン条約で領土の大半を失ったマジャール人勢力が、再び聖イシュトヴァーンの王冠の地を要求しているのではないかと疑ったのである。ハンガリー人は、中央ヨーロッパ1000年の動乱の中で生き残った象徴として、王冠に当然の敬意を持っていた。だが、聖冠の特殊な権力を主張する右派の政治運動を前にして分裂に追い込まれることとなったのである。 2011年に制定された『ハンガリー基本法』前文においては、イシュトヴァーン1世の戴冠を国家建国と位置づけ、「聖冠」が「歴史的な憲法の成果」を示し、「ハンガリーの立憲国家の継続性及び民族の統合を体現」し、ハンガリー民族の構成員は「それに敬意を払う」と言及されている。一方で国民主権・国と教会の分離の原則から、聖冠が憲法解釈の基準たり得えないという批判や、法的継続性の観点から「聖なる王冠の理論」が憲法の成果とみなすことは困難であるという考えもある。また刑法典第334条は、聖なる王冠・国歌・国旗・国章を損壊もしくは侮辱する者に1年以下の拘禁刑を科すると定めている。
※この「王冠の法的効果」の解説は、「聖イシュトヴァーンの王冠」の解説の一部です。
「王冠の法的効果」を含む「聖イシュトヴァーンの王冠」の記事については、「聖イシュトヴァーンの王冠」の概要を参照ください。
- 王冠の法的効果のページへのリンク