王冠の獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 07:05 UTC 版)
詳細は「ロバート1世 (スコットランド王)」を参照 詳細は「スコットランド独立戦争」を参照 ジョン・ベイリャルの廃位によってスコットランドは事実上、君主抜きとなった。ロバート・ザ・ブルースはベリック・アポン・ツイードにてエドワード1世に忠誠を誓ったものの、翌年のスコットランドの反乱に加わった際にはこの宣誓を破棄した。1297年の夏に再びエドワード1世に忠誠を誓い、これはアーバインの降伏(英語版)として知られている。ブルースは、スターリング・ブリッジの戦いの期間中はスコットランド側につく姿勢を見せたもののフォルカークの戦い後にエドワード1世に勝利が戻るとイングランド側につき、アナンデイル(英語版)とカリック(英語版)のブルースの地は、エドワード1世の支配権並びにその従者への譲渡から逃れることが出来た。ブルースにはエドワード1世への忠誠こそが生き残れると思えたのかもしれない。 ブルースとその王位を巡るライバルであったジョン3世・カミン(赤毛のカミン)(英語版)はウィリアム・ウォレスから「スコットランド王国の守護官」の地位を継承したものの互いの敵対心はスコットランドの安全を脅かした。ダンフリーズのグレイフィアーズ教会の中央分離帯にて両者の会談が行われることが調整された。ブルースはカミンの胸を突き刺して殺し、その結果、ローマ教皇クレメンス5世によって破門された。ロバート・ザ・ブルースは1306年にスクーンにてスコットランド国王ロバート1世として戴冠した。ロバート1世はスコットランド軍を率いて1314年のバノックバーンの戦いにてイングランド軍に完勝した 。 1334年にブルース王家の血縁者を主張するトーマス・ブルースがカイルにてロバート・スチュワートとともにイングランドに対して立ち上がった。
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