王仁三郎と霊界物語
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多趣味多才の王仁三郎は『霊界物語』を演劇化する事にも熱心であり、王仁三郎自らが登場人物になって神劇を演じることも多かった。教義的な位置づけとして、第40巻序章で「霊界物語そのものは、つまり瑞月(王仁三郎)の肉身であり、霊魂であり、表現である」と強調している。読者には音読を推奨しており、平家物語のような口承文芸・日本の伝統的な語り文化を意図したと見られる。王仁三郎は「物語を読むには、なるべく音読がよい」と話していた。物語は王仁三郎の口を通じて出た言霊であって、言霊はそのまま霊界にも通じ、読者当人のみにとどまらず、多くの精霊たちにも聞かせることになり、霊魂の救済にも繋がるとした。大本では、黙読して頭で読むというよりも、臍下丹田に心を静めて、赤子の心となって魂で音読し、心の糧にするという方が望ましいとしている。 1924年(大正13年)にモンゴルへ電撃的に渡航した際には、娘婿・出口伊佐男に遺書「錦の土産」を託し、この中で「伊都能売の御魂霊国の天人なる大八洲彦命の精霊を充たし、瑞月(王仁三郎)の体に来たりて口述発表したる霊界物語は世界経綸上の一大神書ならば、教祖の伝達になれる神諭と共に最も貴重なれば、本書の拝読は如何なる妨害現はれ来るとも不屈不撓の精神を以て断行すべし。例え二代三代の言と雖もこの言のみは廃すべからず(以下略)」と厳命している。第二次大本事件後に出獄後は、周囲に物語の真意を語りだした。例えば第28巻は第二次大本事件そのもの、サアルボースやホーロケースという登場人物は西園寺公望と原敬と述べている。第57-58巻は太平洋戦争や東京裁判の隠喩と信者に語った。 松本健一は、『霊界物語』は古事記を筆頭に天皇制国家を支える神話を模倣しつつ「あるべき神の国(理想)」と「大日本帝国(現実)」の対比を描き出したと評し、王仁三郎は「霊魂的革命」を物語ることで現実世界の変革を訴えたのだと考えた。また村上重良は、直接的な表現をつかった『大本神諭』に対し『霊界物語』は抽象的表現で「立替え立直し」を表現し、読者に対し多様な解釈を暗示しているとした。
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