猿なぎ洞門の崩落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 15:57 UTC 版)
国道158号は、長野県松本市から岐阜県高山市までを結び、また景勝地として名高い上高地へのアクセス路でもある、物流・観光上重要な路線である。 猿なぎ洞門は、そのうち松本に近い、旧安曇村島々から稲核間に、土砂崩れによって道路が被害を受けることのないよう、1984年(昭和59年)に着工、同年竣工したロックシェッドである。洞門の建設と同時に、斜面にはモルタル吹付けによる、土砂崩れを防ぐための覆工が施された。その後1990年(平成2年)から洞門を高山市側に延長する工事が行われた。 工事が行われている最中の1991年(平成3年)9月中旬には、週1日程度、50 - 100 mm程度の降水があり、10月13日には洞門付近で落石が発生し始めた。落石を除去しながら、工事と通行は続けられた。10月17日には朝から降雨が続き、落石が頻繁に起こる。18日早朝には路面に土砂が5 cmほど堆積するまでになった。10月18日、6時頃より落石が特に頻繁になり、7時10分、モルタルを吹付けた斜面から小規模な土砂崩れが発生。これについて村民から連絡を受けた大野建設が、7時20分に道路を閉鎖、現場で洞門延長工事に伴う片側交互通行を行っていた作業員を避難させた。その後2者には長野県知事からの感謝状が贈られている。 午前7時40分、斜面のモルタル吹付け部から2筋の土砂が流れ始め、まもなく大規模な土砂崩れが発生した。土砂は猿なぎ洞門を直撃し、9スパン中の3スパン、延長30 m中の10 mは谷底の梓川まで押し流された。 土砂崩れの様子は、対岸に居住していた安曇村職員により撮影されており、土砂崩れの規模がこの映像から分析されている。土砂崩れは、幅60 - 65 m、最大標高差65 mの三角形状の範囲におよんだ。流出土砂量は3,000 m3とする資料や、10,500 m3、あるいは15,000 m3に及ぶと言われている。崩落面向かって左下に湧水が存在し、また降雨による地下水が存在したことが、土砂崩れを誘発したと考えられる。 落石覆工の倒壊は、飛騨川バス転落事故、大崩海岸の洞門崩壊、越前海岸などにみられるが、崩落の瞬間が映像として残る事は稀であり、この映像は崩落時の運動に関する研究などに用いられている。
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