炭礦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 06:50 UTC 版)
炭礦線(たんこうせん)は、北海道雨竜郡沼田町の恵比島駅から同町内の昭和駅を結ぶ17.6kmの路線で、沿線の炭鉱(昭和炭鉱、浅野炭鉱)から産出される石炭を留萌港に輸送する使命を担った。1928年に後述の海岸線(北岸線)と共に恵比島 - 太刀別間、翌1929年に太刀別 - 佐々木沢間の鉄道敷設免許を取得し、1930年7月に恵比島 - 太刀別間14.0km、同年10月に太刀別 - 昭和間3.6kmを順次開業した。なお、佐々木沢付近で予定された三井鉱山鉱区の炭鉱開発計画が頓挫したため、昭和 - 佐々木沢間2.35kmは未着工のまま、1942年に免許を失効している。 開業当初から鉄道省札幌鉄道局に運行管理を委託し、客車も鉄道省から借入れたため、当時の在籍車両は昭和駅構内で入換えを行う小型機関車のみであった。 戦後、御料林からの木材発送がなくなった太刀別駅を1949年に廃止した。1952年にはディーゼル動車を購入して乗降場を設置し、旅客サービスの向上に努めると共に、これまで混合列車で使用していた国鉄借入客車を正式に譲受けた。1963年には九州鉱山太刀別炭鉱の開坑に伴い、太刀別駅が積出し駅として復活した。昭和30年代の営業係数はほぼ70 - 80台で、貨物は年間約45万トン、旅客は年間約45万人を数えるなど、輸送量は漸増傾向にあったが、1968年12月の第4次石炭政策答申で国内炭鉱の整理統合政策が明確に示されると、中小炭鉱は一気に閉山へとなだれ込み、沿線の炭鉱が消滅して留萠鉄道は存在理由を失った。1969年に営業休止、1971年に全線廃止を実施した。
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