源氏賜姓の実態とは? わかりやすく解説

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源氏賜姓の実態

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:03 UTC 版)

源氏」の記事における「源氏賜姓の実態」の解説

天皇皇子降下することを、「一世の源氏」といい、時服月俸・初叙の上優遇された。一方で皇孫至って臣籍降下することは「二世源氏」という。嵯峨天皇の子である源定源融仁明天皇の子である源冷は父天皇意向親王の例に準じて内裏において元服行っており、親王準じた待遇受けたその後陽成天皇退位後後継選定藤原基経源融退けて光孝天皇即位させた際には、すでに臣籍降下していた旧鑒・是忠・是貞らが改め賜姓を受け、一世源氏扱い受けている。 光孝天皇崩御するとその基経臣籍降下した源定省復籍させて宇多天皇として即位させるなど、同じ天皇の子でも親王一世源氏区別明確化迫られる事態発生し宇多天皇以降儀式書では親王元服一世源氏元服では異な作法記されるうになる。しかし、その後規模小さくしながら内裏元服行い内蔵寮から饗宴引出物用意され醍醐天皇の子である源高明源兼明元服など一世源氏特殊性が完全に排除されることはなかった(内蔵寮天皇私的な支出を扱う官司であり、一世源氏元服公的行事から天皇主催私的行事切り替えることで特殊性維持したとみられる)。『源氏物語』において、桐壺帝一世源氏ある光源氏元服を自ら主導して引出物も自ら準備している(費用桐壺帝負担考えられる)のも、一世源氏特殊性描かれ場面と言える。しかし后妃摂家出身であることが重視されるうになると、皇子女絶対数減少し母親身分が高いことで臣籍降下する皇族減少していく。村上天皇以降一世皇子女賜姓を受けることもなくなった。 皇親として高い地位持った源氏でも、一部家系のぞいてはその地位子孫伝えることは難しかった天皇が代を重ねていくに従い父祖の代の源氏とは血縁離れていくため天皇の「ミウチとしての関係も薄れていくのが常であった。さらに臣籍降下した源氏たちの母の身分が低いことも権勢維持する上で致命的であった3代目以降上級貴族であり続けた例は少なく中央下級貴族として細々生き延びるか、受領階級として地方赴任しそこで土着して武士化するか、完全に没落するかしかなかった。

※この「源氏賜姓の実態」の解説は、「源氏」の解説の一部です。
「源氏賜姓の実態」を含む「源氏」の記事については、「源氏」の概要を参照ください。

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