清酒の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)
『播磨国風土記』には「清酒(すみさけ)」というものに関する記事もある。これを現在の清酒(せいしゅ)の初見とみなす説があるが、議論の分かれるところである。 古代の酒は、出雲や博多に現在も残る練酒(ねりざけ)のようにペースト状でねっとりとしたものが標準的であったようである。現在でも、皇室における新嘗祭(にいなめさい)では、古代の製法で醸造した白酒(しろき)、黒酒(くろき)という二種類の酒が供えられる。黒酒とは、白濁した白酒に、久佐木と呼ばれる草を蒸し焼きにし、その灰をまぜこんで黒くした酒である。これは、黒みがかった古代米で造った古代の酒の色を伝承していくための工夫の結果であろうと考えられている。 濁りを漉しとるだけならば、布、炭、砂などで濾過する原始的技術があったため、当時の日本で粘度の高い古代酒から、今日のような透明でサラサラとした清酒(せいしゅ)を精製することは決して不可能ではなかっただろうともいわれる。 しかし一方ではこの時代の古文書、たとえば天平年間の地方諸国の収支報告書である正税帳には「浄酒」(すみさけ/すみざけ)といった語も出現するため、「清酒(すみさけ)」は「清(きよ)め」など祭事的な用途に使われる酒を意味していた、という説もある。 いずれにせよ清酒(せいしゅ)は、やがて菩提泉に代表されるような平安時代以降の僧坊酒にその技術が結集されていくことになる。また、この菩提泉をもって日本最初の清酒とする説もあり、それを醸した奈良正暦寺には「日本清酒発祥之地」の碑が建っている。また兵庫県伊丹市鴻池にも「清酒発祥の地」の伝説を示す石碑である鴻池稲荷祠碑(こうのいけいなりしひ)が建ち、市の文化財に指定されている。
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