海洋公民館として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:39 UTC 版)
「志賀 (海防艦)」の記事における「海洋公民館として」の解説
1965年(昭和40年)8月、広島県呉市との招致争いの末、千葉県千葉市がこじまの払い下げを受ける。9月 巡視船むろと (PL-01)の曳航により呉港から稲毛海岸へ回航。10月から海洋公民館として使用するため船内改装工事に着手し、1966年(昭和41年)5月5日 に竣工。18日から千葉県千葉市稲毛海岸4丁目(現千葉県千葉市美浜区高洲4丁目)に「千葉市海洋公民館」として開館。周辺を「こじま公園」として整備した。払い下げ当初は海沿いの岸壁に接した形だったが、後の周囲の埋め立てで公園の池に浮かぶ姿に変じた。だがそのままでは不安定になるので池の底に固定される形となっていた。 晩年には第二次世界大戦に参加した大日本帝国海軍艦艇の最後の生き残り(現存唯一の旧海軍艦船である特務艦「宗谷」は「艦艇」ではなく「特務艦艇」籍)として親しまれた。 1993年(平成5年)4月1日、建築基準法並びに消防法に適合しないことが判明し、公民館は休館となり、1997年(平成9年)3月25日に閉館。 1998年(平成10年)、老朽化や保存コストを理由に千葉市がこじまの解体撤去を行った。 解体後は稲毛海浜公園内の稲毛記念館および栃木県那須郡那須町の戦争博物館に部品の一部が展示された。2017年(平成29年)4月に千葉市海洋公民館跡地に建設された高洲スポーツセンター内にこじまの展示コーナーが作られ、稲毛記念館に展示されていた展示品が移設された。こじまのあった池は解体後に埋め立てられており存在しないが、隣接する公園やバス停は「こじま公園」のままとなっており現在もその名を残している。 また、上述のように1958年の事故で破損した後甲板右舷の双繋柱と甲板取付用望遠鏡が海上保安大学校海上保安資料館で保存展示されている。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 右舷側 左舷側 船首 船尾 全景(1997年撮影)
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