洛東江防御線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)
洛東江防御線は、慶尚北道から慶尚南道にかけて北から南に流れる洛東江を南北約135キロメートルの線、大邱の北方から日本海に向けて東進した東西約90キロメートルの線で朝鮮半島南部の要地を包み、この範囲にアメリカ軍、韓国軍共に後退した。 洛東江防御線はその約4分の3の場所で洛東江を障害として利用可能で、渡河能力の低い北朝鮮軍には効果的な陣地だった。また大邱と馬山を内包していることは政治的にも心理的にも重要で、範囲内の交通網を用いることで兵力の移動が容易で反撃に有利であった。北側の防御線では釜山の補助港として重要な浦項と、前線航空基地で、海軍の空母艦載機の緊急着陸場として重要だった延日(ヨンイル)飛行場を内包した。河川を防御に使うことで上空からの目標線にもなり、航空支援も行いやすかった。 ウォーカーは防御陣地の構築にあたり、 薄い前哨地帯を築き、その後方に強力な予備の機動部隊を配す 敵戦車の攻撃ルートに対し砲撃準備を整えておく 大隊以下の規模の防御陣地では、鉄条網に囲まれた縦深陣地を作り地雷を埋設する などの基準を設けた。 ウォーカーは司令部にほとんどおらず、上空から敵陣を偵察した。パイロットは「撃たれるまで近づけ」と命令されており、危険なほど低空を飛行した。偵察が終わると2台のジープで隊列を作り安全速度を超えるスピードで釜山橋頭堡内を走りまわり、各前線で状況の把握に努めた。ジープには地雷対策に車体下面に装甲板を貼り、手すりと周囲を見渡す昇降台が追加され、ボンネットにブービートラップを切断するためのワイヤー・カッターを取り付けていた。
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