洛書と九疇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 20:54 UTC 版)
『易経』繋辞上伝に八卦の由来に関する記述に「天、象を垂れ、吉凶を見(あらわ)す。聖人これに象る。河は図を出し、洛は書を出す。聖人これに則る」とある。ここで黄河から現れた図(河図)や洛水から現れた書(洛書)がいつ現れたかは記されていないが、『漢書』五行志が劉歆の説を挙げ、伏羲の時に河図が現れて、これに則って八卦を作り、禹の治水の時に現れた洛書が洪範九疇であったとした。さらに『尚書』の偽孔伝では夏の禹の時、洛水から神亀が文字を背負って現れたが、そこに九に至る数字があり、禹がそれにもとづいて作ったのが九疇であったとされた。 宋代になると河図洛書は陰陽と数を黒白の圏点で描いた図象として解されるようになり、北宋の劉牧や李覯は、1から10までの五行生成の数を各方位に配した十数図を「洛書」としたが、南宋の朱熹・蔡元定は十数図を八卦の由来となった「河図」とするとともに1から9までの数を中央と八方に縦・横・斜めの総和が15になるように配した九数図を「洛書」とした。やがて朱子学が官学として権威をもつようになると、十数河図・九数洛書の説が広く行われるようになった。 十数図 九数図 五行生数 - 水1・火2・木3・金4・土5 五行成数 - 水6・火7・木8・金9・土10
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