安東撤収作戦
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7月31日午後7時、連絡機によって洛東江防御線への後退命令が投下された。内容は「第1軍団は明8月1日午前5時までに洛東江南岸の防御線に後退し、じ後該線を確保せよ」であった。これは10時間で現陣地を撤収して洛東江を渡り、新陣地を占領せよというものであった。部隊が行動に移るには時間を有し、渡河点は安東人道橋と鉄橋に限られていた。部隊が渡り終えたら、この2つの橋を爆破しなければならないが、それまでに市民の避難も完了しなければならなかった。 作戦命令は英文で、オーバーレイは軍団が所持していた地図と縮尺が合わないため、軍団作戦参謀の金鍾甲大領が英文の翻訳とオーバーレイの照合をしたが、時間がかかりこれによって作戦の起案が遅れた。 軍団司令部は第8師団と首都師団の参謀長を招集して協議した。首都師団参謀長・崔慶禄大領と第8師団参謀長・崔甲中中領はそれぞれ自己の師団の優先撤収を主張し、軍団参謀長・崔徳新大領は「我が軍は夜に弱い。夜間は混乱を招く。昼間なら航空支援を受けられるし、時間の余裕もある」と、夜間撤退そのものに懐疑的であった。会議は、企図の秘匿、市民の撤収などの難問が提示されるだけで時間を浪費した。8月1日午前2時頃、堪り兼ねた金弘壹少将が「首都師団の掩護下に第8師団が撤収せよ」と決定した。時間も無いのに師団が師団を掩護することは余りにも複雑すぎると考えた崔徳新大領は、軍団命令に「自分の師団は自分で援護しながら後退しろ」と付け加えた。
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