法華経の行者である妙達上人の物語と善寳寺縁起とは? わかりやすく解説

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法華経の行者である妙達上人の物語と善寳寺縁起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 06:14 UTC 版)

龍王尊」の記事における「法華経の行者である妙達上人の物語と善寳寺縁起」の解説

平安時代中期天台宗の僧、善寳寺開基龍華妙達上人は、出羽国現在の山形県)の庄内平野の南の山に天暦五年(九五一)の秋、龍華寺という草庵開きもっぱら法華経』を読誦していたと伝えられる天暦九年(九五五)に五穀断ちをして、入定修行入り七日後にこの世蘇ったといわれている。入定後、妙達上人閻魔王都に召されて、「汝は『法華経』をよく読み煩悩なし。速やかに帰るべし」と云われ、この世帰された。 妙達上人帰る前に父母会いたい申し上げると、「父母地獄にあり苦しんでいる。父母の罪を抜くために功徳積みなさい」と、閻魔王言い、さらに人間死後の様々な様子見せてくれた功徳積んだ者は兜率天生まれ、罪を作りし者は地獄にあり、さらには大蛇九頭竜生まれて苦しんでいるものもある。地獄苦しみ人々兜率天に渡す誓願をおこせと閻魔王申し渡したという。 ある時、妙達上人の所に、龍が現れた。故あって龍の身となった。『法華経』の功徳受けたいという。龍は妙達上人の『法華経読誦聞き願い叶い妙達山の麓にある池に身を隠したといわれる。この池が「貝喰の池」で、その龍は「龍神様」であったその後延慶二年(一三〇九)に總持寺二祖善寳寺開祖峨山韶碩禅師妙達山に巡錫し、妙達上人坐禅石に坐禅をしていると龍神様が現れたという。禅師が「三帰戒」を授けると貝喰池に消えた伝えられている。 峨山禅師より七代後の善寳寺開山太年浄椿禅師文安三年一四四七)龍華寺復興して伽藍建立をはたし、龍澤山と号し善寳寺改められた。その受戒会に再度龍神様が現れ戒脈伝授を願う。「我は八大龍王一人なり。ともなえるは第三龍女なり。さきに妙達上人甘露妙典功徳を受け、更に峨山禅師参じて戒を受け、ここに太年禅師には授戒血脈授けられ不退転法楽得たり。我眷属率いて尽未来際、この御山守護せらん。我に祈請するものあらば、必ず心願成就せしめん」と言い終わるや迅雷烈風天地震動貝喰の池に身を蔵した。太年禅師龍王殿を建立し奥の院貝喰の池には龍神堂を建立し龍神様をお祀りして今日に至る。

※この「法華経の行者である妙達上人の物語と善寳寺縁起」の解説は、「龍王尊」の解説の一部です。
「法華経の行者である妙達上人の物語と善寳寺縁起」を含む「龍王尊」の記事については、「龍王尊」の概要を参照ください。

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