治水整備の進展~下流から上流へ~とは? わかりやすく解説

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治水整備の進展~下流から上流へ~

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:32 UTC 版)

太田川」の記事における「治水整備の進展~下流から上流へ~」の解説

放水路完成により放水路太田川本川となり、旧流路旧太田川呼称変更となった。又7本あったデルタ地帯河川も6本(太田川放水路旧太田川元安川天満川京橋川猿猴川)と成った1965年太田川水系一級水系指定され河口から21.5km地点までの太田川本川旧太田川元安川天満川建設省直轄管理河川となった一方海岸地帯高潮対策であるが、周防灘台風1942年)・台風26号1943年)が戦前では最大高潮被害与えたが、戦後ルース台風洞爺丸台風等で宇品港沿岸地帯高潮被害受けた建設省広島県・広島市等は1959年昭和34年)の伊勢湾台風機に低地高潮対策必要性鑑み1969年昭和44年)より「広島湾高潮対策事業」を共同着手した高潮堤河川堤防築堤嵩上げ主なものであるが、太田川旧太田川元安川天満川建設省直轄事業京橋川猿猴川広島県補助事業としてそれぞれ実施された。この高潮対策事業は現在でも進行中である。 こうして下流部治水事業整備進行したが、上流部治水整備手付かずに近い状態であったこの中で1972年昭和47年7月発生した梅雨前線豪雨昭和47年7月豪雨)は上流部甚大な被害与えた。これを受け建設省太田川本流73.8km地点山県郡安芸太田町〔旧山県郡戸河内町〕)と滝山川太田川合流点より4.9km上流)までを直轄管理区間に拡大築堤護岸整備等で未改修地点改良する一方1975年昭和50年)に「太田川水系工事実施基本計画」を改訂しこの中で従来までは計画盛り込まれなかった多目的ダムによる洪水調節事業組み込まれた。 こうして滝山川上流部太田川水系初の多目的ダムである温井ダム1977年昭和52年)より計画され反対運動等の試練乗り越え地域住民納得受けて2002年平成14年3月完成したダム観光拠点として賑わう一方2005年平成17年)の豪雨においても放水路等との連携により流域での水害防いだ

※この「治水整備の進展~下流から上流へ~」の解説は、「太田川」の解説の一部です。
「治水整備の進展~下流から上流へ~」を含む「太田川」の記事については、「太田川」の概要を参照ください。

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