江戸時代~明治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 09:48 UTC 版)
江戸時代から明治時代の間に、あ行え段 (e) とや行え段 (ye) の仮名をふたたび区別しようとする者が現れた。字の形は文献によってまちまちである。「」と「」はその内の二つに過ぎない。 e古くからある仮名え (平仮名) (「え」の変体仮名。平仮名) エ (片仮名) 新しく作られた仮名 (「衣」の省画。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) ye古くからある仮名え (平仮名) (「え」の変体仮名。平仮名) (「え」の変体仮名。平仮名) (「え」の変体仮名。平仮名) (「え」の変体仮名。平仮名) エ (片仮名) 新しく作られた仮名え〻(点付きの「え」。平仮名) (「衣」の草書。平仮名) エ〻(点付きの「エ」。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) (「衣」の省画。「グレーン」の活字で代用することがある。片仮名) (「衣」の省画。片仮名) (「延」の省画。片仮名) (「延」の省画。片仮名) (「兄」の省画。片仮名) このような使い分けは、音義派の学説に基づいて考え出された。音義派は、あ行い段とや行い段、あ行え段とや行え段、あ行う段とわ行う段は、本来違う音であると主張していた。そこで、それぞれに違う仮名を当て嵌めようとしたのである。 しかし、日本語の研究が進み、それぞれに区別はないとする学説が出た。これらの奇字が実際に用いられることはなかった。
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江戸時代・明治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 16:45 UTC 版)
九鬼守隆は鳥羽城主として5万6000石を領したが、仏門に帰していた五男九鬼久隆を還俗させ、後継者にしようとしたところ、三男の九鬼隆季から猛反発をうけ、家督争いとなった。守隆の死後も家督争いは続き、この騒動を見ていた幕閣(江戸幕府)により、九鬼家は代々領土を守ってきた志摩国の領地を失い、久隆は摂津国三田藩3万6000石に、隆季は丹波国綾部藩2万石に移された。九鬼氏はその水軍力を失い、陸に上がることとなったが、その後は廃藩置県までそれぞれの領地で存続する。なお、御家騒動を起こして分裂した2家であるが、両家とも他家から養子を迎えて存続した後、江戸時代中期から幕末に三田九鬼家では7代隆由、8代隆邑、13代隆義を綾部九鬼家から養子に迎えている。 幕末、三田・綾部の両藩は共に討幕派につき参戦した。両九鬼家は華族に列し、明治17年(1885年)にそれぞれ子爵に叙爵された。
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