江戸時代~富山藩の成立
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1639年(寛永16年)、加賀藩第三代藩主前田利常が次男の利次に10万石を与えて分家させ、富山藩が成立した。翌1640年(寛永17年)、利次もそのころ加賀藩領内にあった富山城を仮城として借り越中に入った。 当初、居城として婦負郡百塚に新たに城を築くつもりであったが、藩の財政がそれを許さなかったため1659年(万治2年)に加賀藩との領地交換により富山城周辺の土地を自領とし富山城を居城とした。 1661年(万治4年)、幕府の許しを得て富山城を本格的に修復し、また城下町を整え、以後富山前田氏13代の居城として明治維新を迎えるまでの基礎となった。 1858年4月9日(安政5年2月26日)、飛越地震が発生した。富山城も被災し、本丸や二の丸、三の丸が破損したほか石垣が崩れるなど大きな被害を出した、
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