江戸時代後期の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 14:48 UTC 版)
「鎌倉の地名由来辞典」(三浦勝男編・東京堂出版)によると、 1708年(元禄16年)の大地震で108メートルに渡って倒壊 1788年(天明8年)、建長寺宝泉庵主印宗が建てた道造供養塔に「約220メートルの坂道を350人の助力を得て深さ60センチメートル掘り下」 1851年(嘉永3年)には鶴岡八幡宮寺の岩瀬一学が峰の高さを約3メートル掘り下げる普請を建長寺に申し入れ とある。
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