江戸時代後期の議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:01 UTC 版)
江戸時代後期の山片蟠桃は、郡県制が人為的制度、封建制が自然の理にかなったものとし、封建制を是とした。その上で江戸幕府を、天皇からの勅命を受けた正統な封建制とみなした。ただしこの時点で山片蟠桃の意図とは別に、江戸幕府の正統性が引きはがされる根拠が生じた。 頼山陽は、封建の概念を用いて日本の歴史について論じた。鎌倉幕府以来の武士の世を頼山陽は「封建の勢」とし、正統なものではないことを暗示し、封建の勢が進行するとともに重税化が進んだことを主張した。 会沢正志齋は、郡県制のイデオロギーであった王土王民思想を天皇と結び付け、天下の土地人民はことごとく天皇のものであり、封建制は天皇制に合致する場合だけ認められるとした。 田中圭一は、著書「百姓の江戸時代」の中で、「武士は土地の所有者ではなく、百姓こそが土地の所有者であった」とし、事実、江戸時代においても土地の売買や質入れはされていた。今や、士農工商の身分制度などなかった説は常識であり、むしろ資本主義の原点が芽生えていた。田中は「江戸時代は封建社会ではなく、工業化以前の近代社会」とまで言い切る。江戸時代は封建制というのは、幕府の支配者史観によるもので、甚だ事実と異なるという意見もある。
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