江戸時代後期から明治時代以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:36 UTC 版)
「平島公方」の記事における「江戸時代後期から明治時代以降」の解説
その後は母方実家の京に居を定め、姓を平島から足利に戻したが、禄も無いので次第に窮迫したので家臣の数も減らしていき、等持院などかつての足利将軍家が庇護を与えていた臨済宗系大寺院からの援助で足利の家名を維持したという。蜂須賀家にも援助することを求めたが、蜂須賀家は退去の経緯から断っている。また、紀州徳川家の援助により、阿州足利家は存続できた。 その後、義寛は堂上の桜井家に仕えたという。
※この「江戸時代後期から明治時代以降」の解説は、「平島公方」の解説の一部です。
「江戸時代後期から明治時代以降」を含む「平島公方」の記事については、「平島公方」の概要を参照ください。
- 江戸時代後期から明治時代以降のページへのリンク