江戸前ずしの誕生とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 江戸前ずしの誕生の意味・解説 

江戸前ずしの誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 12:37 UTC 版)

江戸前寿司」の記事における「江戸前ずしの誕生」の解説

江戸前握りずし創案者は、両国は「與兵衛鮓(よへいずし)」の華屋與兵衛とも安宅の「(まつのずし)」、堺屋松五郎ともいわれる文献的には文政12年1829年 1827年作句)『柳多留』に「妖術という身で握るすしの飯」とあるのが初出である。 與兵衛ひ孫小泉清三郎家庭 のつけかた』(1910年明治43年))158-159ページ與兵衛の孫、文久子『またぬ青葉』(手写本、現在所不明震災焼失とも)の引用があり、要約する以前にも握りずし試みた者はいたが、握った後に笹で仕切って箱に詰め数時間押しをかけるすしで、「翁(初代與兵衛)は此の製方の悠長なるを厭い中略)握早漬を工夫せし也」とのことである。與兵衛が「握早漬(握りずし)」を売り出した年は、諸説あるが文政7年1824年)あたりとされる文政13年1830年喜多村信節嬉遊笑覧』に「文化(1804-1817年)のはじめ頃、深川六軒ぼりに、松がすし出来て世上すしの風一変し」とあるが、この「一変」には二つ解釈ができる。ひとつは握りずし創案し、かつてのなれずしとは違う握りずし江戸中に広がって一変したという解釈もうひとつは、これまでにない高額のすしを売り出し市中すし屋追従したために一変したという解釈ちなみに」とも「」とも言われたが、「安宅の松」と主人の名、松五郎にちなん通称であり、本来の屋号は「砂子(いさごずし)」といった。後に屋号の方も「」と改めたとのことである。いずれにしろ握りずし文政年間(1818-1831年)には完成をみて、「與兵衛鮓」、「」は最初大成となった。 こうして誕生した握りずしは、屋台料理として江戸っ子もてはやされ瞬く間江戸市中に拡がった。箱寿司主体であった大坂1892年明治25年)には大半握り寿司の店に変わった記録されており、天保(1831-1845年)には名古屋にも広がるなど、日本全国へ拡がっていった。この寿司粕酢赤酢)と塩のみで合わせ酢作り砂糖使用しないものであったかつては米酢使用されていたが、後に広まった粕酢1804年江戸へ旅したミツカン初代中野又左衛門江戸向けて販売した事がきっかけ主張している。

※この「江戸前ずしの誕生」の解説は、「江戸前寿司」の解説の一部です。
「江戸前ずしの誕生」を含む「江戸前寿司」の記事については、「江戸前寿司」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「江戸前ずしの誕生」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「江戸前ずしの誕生」の関連用語

江戸前ずしの誕生のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



江戸前ずしの誕生のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの江戸前寿司 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS