江戸初期の主な城将配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:19 UTC 版)
義光は領内各地に大身の城主を多数配置した。「最上家伝覚書」によれば、万石以上の家臣が16人、千石以上が63人、百石以上が850人いたという。家臣の知行を合計すると66万石余にもなる。最上氏は急速に勢力を拡大したため集権化が追いついておらず、結果的には最上氏改易の一因となった。 最上一門清水城主 清水義親 27,000石 大山城主 大山光隆 27,000石 上山城主 上野山義直 21,000石 山野辺城主 山野辺義忠 19,300石 楯岡城主 楯岡光直 16,000石 白岩城主 松根光広 12,000石 家臣団由利城主 楯岡満茂 45,000石 亀ヶ崎城主 志村光安 30,000石 寒河江城主 寒河江広俊 27,000石 野辺沢城主 延沢光昌 20,000石 天童城主 氏家光氏 17,000石 長崎城主 里見民部 17,000石 長谷堂城主 坂光秀 13,000石 東根城主 東根景佐 12,000石 真室川城主 鮭延秀綱 11,500石 滝沢城主 滝沢政道 10,000石 小国城主 小国光基 8,000石 長崎城主 中山朝正 7,000石 鶴岡城代 新関久正 6,500石 高櫤城主 斎藤光則 5,500石 成沢城主 成沢道忠 5,000石 八柏城主 谷柏直家 4,000石 湯沢城主 小国摂津守 4,000石 新庄城番 日野定重 3,000石
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