水中考古学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 02:18 UTC 版)
「オナー・フロスト」の記事における「水中考古学者として」の解説
フロストは、ジャック=イヴ・クストーがSCUBAを発明した直後にダイバーとなり、1950年代初頭にフランスやイタリアでダイバーやアーティストとして活動した。 世界初のスクーバダイビング・クラブ、Club Alpin Sous-Marinのメンバーとして、フレデリック・デュマと共に沈没船の水中調査を初めて体験した。 トルコでの探検の結果、ゲリドンヤ岬で青銅器時代後期の難破船が発見され、フロストはこれの重要性に気付いていたとされる。この難破船は、1959年にトルコのダイバー、ムスタファ・カプキンと、アメリカのフォトジャーナリスト、ピーター・スロックモートンによってすでに発見されていた。しかし、これがミュケナイのものではなくフェニキアのものとしたのはフロストであり、これからフェニキア人が鉄器時代以前に海上交易を行っていたという、最初の証拠を提供した。彼女はUCL考古学研究所で知り合ったジョーン・デュ・プラット・テイラーにゲリドンヤ発掘調査の共同責任者として参加するよう説得し、スロックモートンはペンシルヴェニア大学の若き大学院生、ジョージ・バスを連れてきた。バスの経験不足を資金で補い、ゲリドンヤの沈没船は彼の博士論文のテーマとなり、彼は発掘現場の責任者となった。ゲリドンヤの沈没船は、科学的に適切なアプローチで行われた最初の水中調査であり、ここでのフロストの役割は非常に重要であった。紀元前12世紀の青銅器時代の難破船は、当時世界最古の難破船として知られていた。 1968年にはユネスコの調査団を率いて、アレクサンドリア港のファロス遺跡を調査し、1997年にはエジプトにおける海底考古学の先駆者として、フランス政府から勲章を授与された。 1971年からは、イタリアのシチリア島マルサーラで、ポエニ戦争時の軍艦の調査を主導した。 2005年、BSACは彼女の考古学への取り組みを評価し、ダイビングにおける国際的な協力を促進するために、コリン・マクラウド賞を授与した。 フロストは2010年9月12日に死去した。二回の人工股関節置換術を受けるも勢力は衰えず、死の数ヶ月前までサイダでの調査を計画していた。また、初めてインドを訪れ、彼女が世界最大の石の錨と信じていたものを見に行ったりもしていた。ウィルフレッド・エヴィルの死後、彼女が相続した大量の美術コレクションは、地中海の水中考古学に資金を提供するオナー・フロスト財団の設立に使われた。 サウサンプトン大学図書館の、海洋考古学特別コレクションの一部であるオナー・フロスト・アーカイブには、彼女の考古学研究から得られたフィールドノート、図面、報告書のほか、多数の写真が収録されている。 彼女の著書の多くは、現在サウサンプトン大学図書館にも所蔵されている。
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