民進党から希望の党へとは? わかりやすく解説

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民進党から希望の党へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:54 UTC 版)

中根康浩」の記事における「民進党から希望の党へ」の解説

2016年3月27日民主党維新の党合流して結成され民進党参加した同年8月20日民進党玄葉光一郎選対委員長は、次期衆院選愛知12区公認候補重徳和彦とし、中根次回衆院選限り比例東海ブロック単独1位にすると発表したあわせて重徳比例重複立候補しないことも定められた。 2017年9月28日臨時国会召集冒頭衆議院解散同日午後民進党希望の党への合流決定重徳選対本部長務めることになった中根は、同日夜に開催され選挙対策会議出席した。ところが会議中座したため、毎日新聞記者追いかけると、「今、携帯電話連絡があった。中身話せない厳しい状況だ」と答え足早に去った電話相手民進党幹部で、内容は「愛知12区からの立候補」の打診であった。「(重徳との競合で)自民党利することになるだけだ」と提案固辞すると、民進党との間で交わした比例単独1位の約束は「すべてリセットする」と告げられた。 同年10月3日未明日刊スポーツ希望の党1次公認内定候補者リスト報道中根山尾志桜里への刺客意味する愛知7区公認候補選ばれていた。同日午後希望の党若狭勝、同党の細野豪志民進党玄葉光一郎参議院議員会館記者会見し、第1次公認192人を発表。そこに中根の名はなかった。 同年10月4日午後5時50分ごろ、玄葉から「愛知7区での2次公認内定した」との連絡を受ける。中根7区での出馬準備同時に進めていたが、関係者から「7区行けば岡崎歩けなくなる」と国替え思いとどまるよう説得され結局辞退した同日夜、希望の党第2次公認9人を発表した第48回衆議院議員総選挙では小選挙区からの出馬断念し順位ともかくも比例単独名簿登載されることを希望の党求めた希望の党比例代表名簿発表公示日当日10月10日までずれ込み、かつ順位判明したのは同日午後であった中根比例東海ブロック単独24位に選ばれた。 同年10月22日投開票希望の党が同ブロック獲得した5議席のうちに含まれ落選

※この「民進党から希望の党へ」の解説は、「中根康浩」の解説の一部です。
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