民進党から希望の党へ
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2016年3月27日、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加した。同年8月20日、民進党の玄葉光一郎選対委員長は、次期衆院選愛知12区の公認候補を重徳和彦とし、中根を次回衆院選に限り比例東海ブロックの単独1位にすると発表した。あわせて重徳は比例に重複立候補しないことも定められた。 2017年9月28日、臨時国会の召集冒頭で衆議院が解散。同日午後、民進党は希望の党への合流を決定。重徳の選対本部長を務めることになった中根は、同日夜に開催された選挙対策会議に出席した。ところが会議を中座したため、毎日新聞の記者が追いかけると、「今、携帯電話に連絡があった。中身は話せない。厳しい状況だ」と答え、足早に去った。電話の相手は民進党幹部で、内容は「愛知12区からの立候補」の打診であった。「(重徳との競合で)自民党を利することになるだけだ」と提案を固辞すると、民進党との間で交わした比例単独1位の約束は「すべてリセットする」と告げられた。 同年10月3日未明、日刊スポーツが希望の党の1次公認の内定候補者リストを報道。中根は山尾志桜里への刺客を意味する愛知7区の公認候補に選ばれていた。同日午後、希望の党の若狭勝、同党の細野豪志、民進党の玄葉光一郎は参議院議員会館で記者会見し、第1次公認192人を発表。そこに中根の名はなかった。 同年10月4日午後5時50分ごろ、玄葉から「愛知7区での2次公認が内定した」との連絡を受ける。中根は7区での出馬準備を同時に進めていたが、関係者から「7区に行けば岡崎を歩けなくなる」と国替えを思いとどまるよう説得され、結局辞退した。同日夜、希望の党は第2次公認9人を発表した。 第48回衆議院議員総選挙では小選挙区からの出馬を断念し、順位はともかくも比例単独名簿に登載されることを希望の党に求めた。希望の党の比例代表名簿発表は公示日当日の10月10日までずれ込み、かつ順位が判明したのは同日の午後であった。中根は比例東海ブロックの単独24位に選ばれた。 同年10月22日、投開票。希望の党が同ブロックで獲得した5議席のうちに含まれず落選。
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