横山政権と安政大一揆とは? わかりやすく解説

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横山政権と安政大一揆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 16:43 UTC 版)

黒羽織党」の記事における「横山政権と安政大一揆」の解説

黒羽織党退場後は、年寄横山隆章算用場奉行芝山右衛門らが権力握った。この横山隆章政権黒羽織党較べ門閥守旧派による反改革捉えられている。財政面では、藩内外豪商から御用銀上納させるなど、黒羽織党以前旧来策を継承している。安政3年1856年)には、家中救済のため銀札10,000貫を増発し藩士への貸銀を許可した。しかし安政年間には、安政の大地震などの災害復興費用や、幕府および朝廷の上納金藩主慶弔費など、藩の臨時出費多く藩士町民からも借上銀を命じ事態陥ったこうした負担増が米騒動引き起こす要因となる。 横山政権洋式砲術を習う壮猶館を設立し安政3年1856年)には弓組廃して足軽砲術修練させるなどの海防策を採用した翌年には幕府対しゲベール銃600挺の払い下げ請願している(ただしゲベール銃は無施条先込め銃であり、この時期すでに旧式と見なされていた)。このように横山政権海防策は、意気込みこそ感じられるものの、しょせん旧態依然とした軍制改革であり、幕府改革後追いに過ぎなかった。藩主斉泰自身もかなり保守的な性格であり、西洋武術習って皇国美風を失うべからずとして、洋式足並み行進)や太鼓による稽古禁止するなど、軍制改革妨げた。 そして、安政5年2月26日1858年4月9日午前1時ごろ、越前北部から飛騨信濃にわたる大地震飛越地震)が発生した金沢でも震災発生し金沢城の上塀が崩壊したほか、市街のうち100軒以上が全半壊した。宮腰では液状化現象泥水噴出して地割れ地盤沈下発生越中では立山山中の山が崩落して常願寺川せきとめるなど、多大な被害見舞われ35,000石余の田畑荒地になった。それにくわえ同年5月から7月までの長雨凶作予想されたため、米の買占め起き米価急騰。米が購入できなくなった貧民大量に発生し加賀能登越中といった藩内全土都市で、広範囲打ちこわし発生することとなった。これらの騒動俗に安政大一揆」と呼ばれるが、実際には全藩的な米騒動に近い(維新後1890年1897年1918年にも越中では米騒動発生している)。 万延元年1860年11月には横山隆章死去し黒羽織党藩士復帰する余地生じた

※この「横山政権と安政大一揆」の解説は、「黒羽織党」の解説の一部です。
「横山政権と安政大一揆」を含む「黒羽織党」の記事については、「黒羽織党」の概要を参照ください。

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