極楽寺跡
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極楽寺は、起源ははっきりしないが、土浦市の等覚寺の銅鐘の銘「建永」(1206-1207)により、それ以前に創建されたものと思われる。また1252年には奈良西大寺の僧忍性が来訪し、その後10年間滞在した。その際、律宗を広めたことで、関東真言律宗の中心地として栄えた。現在では、極楽寺は荒廃しているものの、指定文化財として指定されている石造地蔵菩薩立像(石造龕を含む)(県指定文化財)や石造五輪塔(市指定文化財)が残されており、小田地区には、これらをはじめ数多くの石像美術品が残っている。
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極楽寺跡
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「極楽寺 (さぬき市)」の記事における「極楽寺跡」の解説
極楽寺跡(ごくらくじあと)は、香川県さぬき市寒川町石田東にある、最初に創建された極楽寺の跡地とされる遺構跡。極楽寺廃寺跡(ごくらくじはいじあと)とも称する。現在は調査が終了し、一帯は田園地帯として造成されているが、同地には跡地を示す石碑とさぬき市教育委員会による解説版が設置されている。 一帯は明治時代より極楽寺の遺構として複数の品が出土していたが、1969年(昭和44年)当時の寒川町によって周辺の圃場整備事業が行われる事となった。これに伴い遺跡発掘調査が行われる事となり、この調査から往時の建築構造を把握するに足る複数の礎石が発見され、現地が古代の寺院の跡地であったことが確認された。 この調査によって、創建当初の極楽寺は仏塔・金堂(本堂)・講堂が一直線に並んだ四天王寺式の伽藍配置を持っていたことが判明し、寺の側面は100メートルを超えるものと見られた。講堂の北と北西にも建築物の跡が見られ、これらは僧房・経堂と考えられている。建立に関して建設者は明らかにならなかったが、様式や出土品から建設年代は白鳳期(飛鳥時代後期、7世紀後半から8世紀前半ごろ)と推定されており、このことにより極楽寺は香川県でも有数の歴史を持つ古刹として認められる。 なお、本遺跡が存在する事から、周辺南部(門入ダム北側)にある小字名には極楽寺に由来する「極楽寺」の地名が遺されている。
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