極楽寺跡とは? わかりやすく解説

極楽寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 15:44 UTC 版)

小田 (つくば市)」の記事における「極楽寺跡」の解説

極楽寺は、起源はっきりしないが、土浦市等覚寺銅鐘の銘「建永」(1206-1207)により、それ以前創建されたものと思われる。また1252年には奈良西大寺の僧忍性来訪しその後10年滞在したその際律宗広めたことで、関東真言律宗中心地として栄えた。現在では、極楽寺荒廃しているものの、指定文化財として指定されている石造地蔵菩薩立像石造龕を含む)(県指定文化財)や石造五輪塔(市指定文化財)が残されており、小田地区には、これらをはじめ数多く石像美術品残っている。

※この「極楽寺跡」の解説は、「小田 (つくば市)」の解説の一部です。
「極楽寺跡」を含む「小田 (つくば市)」の記事については、「小田 (つくば市)」の概要を参照ください。


極楽寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 10:10 UTC 版)

極楽寺 (さぬき市)」の記事における「極楽寺跡」の解説

極楽寺跡(ごくらくじあと)は、香川県さぬき市寒川町石田東にある、最初に創建された極楽寺跡地とされる遺構跡。極楽寺廃寺跡(ごくらくじはいじあと)とも称する。現在は調査終了し一帯田園地帯として造成されているが、同地には跡地を示す石碑さぬき市教育委員会による解説版が設置されている。 一帯明治時代より極楽寺遺構として複数の品が出土していたが、1969年昭和44年当時寒川町によって周辺圃場整備事業が行われる事となった。これに伴い遺跡発掘調査が行われる事となり、この調査から往時建築構造把握するに足る複数礎石発見され現地古代寺院跡地であったことが確認された。 この調査によって、創建当初極楽寺仏塔金堂本堂)・講堂一直線並んだ四天王寺式伽藍配置持っていたことが判明し、寺の側面100メートル超えるものと見られた。講堂の北と北西にも建築物の跡が見られ、これらは僧房経堂考えられている。建立に関して建設者明らかにならなかったが、様式出土品から建設年代白鳳期飛鳥時代後期7世紀後半から8世紀前半ごろ)と推定されており、このことにより極楽寺香川県でも有数歴史を持つ古刹として認められる。 なお、本遺跡存在する事から、周辺南部門入ダム北側)にある小字名には極楽寺由来する極楽寺」の地名が遺されている。

※この「極楽寺跡」の解説は、「極楽寺 (さぬき市)」の解説の一部です。
「極楽寺跡」を含む「極楽寺 (さぬき市)」の記事については、「極楽寺 (さぬき市)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「極楽寺跡」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「極楽寺跡」の関連用語

極楽寺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



極楽寺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小田 (つくば市) (改訂履歴)、極楽寺 (さぬき市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS