検察側の事情聴取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 21:19 UTC 版)
ロッキード事件は児玉、小佐野ルート、丸紅ルート、全日空ルートの三つに分かれており、榎本三恵子が証言したのは丸紅ルート公判の場である。この時点で丸紅のIはすでに法廷で田中側に5億円を渡したことを認めており、榎本敏夫に5億円を4回に分けて路上やホテルの玄関先、Iの自宅で段ボール箱などに入れて手渡し、そのつど目白の田中邸へ運び込まれたということを、1980年9月17日に行われた第百八回公判で証言していた。それに対して田中側は榎本敏夫のアリバイを主張して反論し、30人もの弁護団を組み現金授受をかたくなに否定していた。 1981年5月6日、榎本三恵子は初めてロッキード事件に関して検察側の事情聴取を受け、以後、証言台に立つ前日の10月27日まで9回にわたって呼び出される。最初の2回は三恵子は検察に対しては非協力的で、代理人を通して榎本側に「今、検事の取り調べを受けているが、そちらが誠意ある姿勢を示せば有利になるような返答をするが、さもなければ洗いざらい話してしまいます」と伝えている。その田中角栄に出した直訴状の返答待ちなので、田中側と不利な争いは避けたかったからだが、納得する返事がもらえなかったのと、検事から「田中角栄という人の功績なり努力は認めるが、やはりしてはいけないことはある。ここでハッキリと白黒つけないと司法というものは成り立たず、今後一切、政界には手が出せないという、何をしてもまかり通る世の中になってしまう」と言われ、大きく心変わりをした。そして次第に事件の核心にかかわる供述をし、必要とあらば法廷に出て証言してもいいのではと思い始める。その時に「榎本の家から何か証拠物件が出てきたのか?」という三恵子の問いに、検察からは何も出ないと言われると「私自身が罪に問われるかもしれないが、私が全て始末しました」と告白する。子供も榎本側にいるし元夫婦という立場を考えると、証人になってもらうのは忍びないという検察に「法廷に出させて下さい。決心した以上、不発にはしないで下さい」と自ら陳情する。ただし裁判では榎本止まりにして、田中先生にまで累が及ばないようにして欲しいというのが条件だった。政界やマスコミには次第に、検察はすごい隠し玉を持っているとの噂が流れ始め、その正体が榎本三恵子の証言ということが10月28日の法廷で明かされた。
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