桂内閣の成立と憲政擁護運動の高まりとは? わかりやすく解説

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桂内閣の成立と憲政擁護運動の高まり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 16:11 UTC 版)

大正政変」の記事における「桂内閣の成立と憲政擁護運動の高まり」の解説

西園寺内閣崩壊受けて元老会議山縣有朋井上馨松方正義大山巌桂太郎元老)が開かれ次期首相選定が行われたが、難航する。まず松方押され、薩派の面々賛同するが、海軍有力者山本権兵衛元海相は元老世代からの世代交代求めたため頓挫し結局高齢理由辞退、更に山本元海相や、山縣閥の平田東助内相なども政権運営の困難を理由辞退次いで山縣子飼い寺内朝鮮総督推薦するが、寺内温存したい山縣の意向辞退する後継首相人選難航している間、今回政変陸軍藩閥政治家、特に山縣横暴であるという批判世間では高まった12月13日東京新聞記者弁護士らが憲政振作会を組織して二個師団増設反対決議し、翌14日には交詢社有志発起人となって時局懇談会ひらいて、会の名を憲政擁護会とした。19日歌舞伎座での憲政擁護第1回大会では、政友会国民党代議士新聞記者のほか実業家学生参加し、約3,000聴衆集めて閥族打破憲政擁護」を決議している。この動き憲政擁護運動、後に第1次護憲運動呼ばれることとなる。特に、政変黒幕であるとみなされ山縣に対しては、暗殺企てる刺客まで現れた。 元老会議での首相選定は、最終的に指名せざるを得なかった。12月17日大命が降る。しかし、半年前に内大臣侍従長になったばかりであったため、「宮中府中の別」をあからさまに破る人事非難の声があがった。これについてはも気にかけており、大命降下同時に特別に「卿をして輔国の重任に就かしめむことを惟ふ」と、勅語下賜された。が、これが逆に天皇の政治利用」とのちに批判招いた。更に、政権交代発端となった軍拡問題について、陸軍の増師に加えて海軍の増艦についても一時凍結国防会議設置して改め審議する方針打ち出したため海軍硬化大臣引き上げ示唆する。これを解決するためにまたしても勅語優詔)によって斎藤実海相留任させたため、「天皇の政治利用批判拍車をかけることになった12月21日第3次桂内閣発足

※この「桂内閣の成立と憲政擁護運動の高まり」の解説は、「大正政変」の解説の一部です。
「桂内閣の成立と憲政擁護運動の高まり」を含む「大正政変」の記事については、「大正政変」の概要を参照ください。

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