株式買い占めを受けダイエー色が強化
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「マルエツ」の記事における「株式買い占めを受けダイエー色が強化」の解説
しかし、その後に当社が不動産業の秀和に株式を買い占められたことを受けて、ダイエーが株式公開買付け(TOB)を実施して1991年(平成3年)4月10日に成功したことを発表した。この株式公開買付けで、ダイエーが発行済み株数の約26.67%に当たる2879.4万株を取得し、持株比率が約38.1%になった。 「秀和」および「忠実屋・いなげや事件」も参照 その結果、ダイエー取締役の小浜裕正が代表権を持つ副社長となり、ダイエーの支配力が強まって高橋一族による支配は終焉した。なお、小浜裕正は1965年(昭和40年)にダイエーに入社。2000年(平成12年)に副社長としてカスミに入り社長を経て会長に就任。2015年(平成27年)3月2日にカスミ会長として、マルエツやマックスバリュ関東と共にユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社を発足させている。 そして、翌1992年(平成4年)2月7日にはダイエーと共同で忠実屋株式の公開買付けを行うことを発表する など、ダイエーグループとしての経営が行われるようになった。 さらに、高橋八太郎は1994年(平成6年)まで会長兼社長であったものの、同年にはダイエーから派遣された藤井次郎が社長に就任した。以後2006年(平成18年)3月1日まで、藤井次郎の後任として次の通りダイエー出身の社長が続くことになる。川一男(ダイエー専務取締役、1996年(平成8年)1月18日 - 2000年(平成12年)3月1日)、吉野平八郎(2000年(平成12年)3月1日 - 2003年(平成15年)5月22日)、太田清徳(2003年(平成15年)5月22日 - 2006年(平成18年)3月1日。なお、太田の後任の高橋惠三はマルエツ生え抜きである。 また、1995年(平成7年)1月に旧マルエツ店舗と旧サンコー店舗で異なっていた物流システムをダイエーの物流システムに一本化。同年4月にはダイエーと共同仕入れを開始し、同年10月3日には当時のダイエーグループの共通クレジットカード「OMCカード」でのサインレス決済を全店舗の食品売場に導入 ダイエーの他のスーパーと共に、1998年(平成10年)9月23日から毎月23日を「ダイエーOMCカードご優待デー」とした。 このダイエーグループとしての共同事業は営業面のみならず、1999年(平成11年)7月19日に開始した障害者の介助犬の店舗への受入れ などの社会貢献活動もあった。 こうしたダイエーグループとの協業化を進める一方で、1996年(平成8年)3月1日に40店舗の精肉売場をダイエーミートへの委託を止めて直営化し、2001年(平成13年)12月に独自の高品質型プライベートブランド(PB) 商品として、食料品「フーデックス」と日用雑貨「ホーメックス」の販売を開始し、ダイエーの価格訴求型PB「セービング」と使い分けながら他店との差別化を図った。
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