枕冊子研究
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『枕草子』研究で知られ、1947年に日本古典全書(朝日新聞社)の校註を行った際には、「草子」や「草紙」ではなく、作品本来の意味に即して「冊子」と書き表すべきであるとして、「枕冊子」の表記にこだわり続けた。 『枕草子』の写本は大きく4系統に分類される。江戸時代に北村季吟が『枕草子春曙抄』を刊行してから大正期まで流布本の主流であったのが能因本である。これに代わって、昭和初期に池田亀鑑が本文解釈上の優位性を提唱したのが三巻本であり、これを善本とする立場から、田中も日本古典全書でも底本に三巻本を採用した。いっぽう、1953年に『校本枕冊子』を刊行した際には、当時、学界で依然として広く支持されていた能因本(三条西家旧蔵本)を底本として採用している。さらに、1972年より『枕冊子全注釈』(角川書店)全5巻の刊行を開始した際にも、『校本枕冊子』の本文に対する注釈を補完するため、能因本を底本に採用した。なお、「凡例」に、註釈の礎稿は森本茂(1928-1996)の手になると明記されている。五巻目は、能因本にない三巻本章段の註釈である。 『全注釈』の刊行開始より11年目の1983年に第4巻が刊行された後、最終巻を残して1987年に田中は逝去。享年71(満69歳没)。第5巻は鈴木弘道が田中の遺稿を基に作業を継承したが、鈴木も完成を待たず1992年に逝去し、最終的に中西健治の手で完成、1995年に第1巻発売より23年を費やして完結した。田中が生前に収集した『枕草子』関連の資料群を始めとするコレクションは、現在、相愛大学図書館で春曙文庫(しゅんしょぶんこ)として所蔵されている。
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