まつうら‐せいざん【松浦静山】
読み方:まつうらせいざん
まつら‐せいざん【松浦静山】
松浦静山
松浦清
松浦 静山(まつら せいざん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 14:31 UTC 版)
「妻は、くノ一」の記事における「松浦 静山(まつら せいざん)」の解説
元平戸藩主。60代半ば。本所中之郷の下屋敷で『甲子夜話』を執筆しながら悠々自適の生活を送っている。心形刀流の達人で武術全般に通じている。タケとマツという名の2匹の赤犬を飼っている。
※この「松浦 静山(まつら せいざん)」の解説は、「妻は、くノ一」の解説の一部です。
「松浦 静山(まつら せいざん)」を含む「妻は、くノ一」の記事については、「妻は、くノ一」の概要を参照ください。
松浦静山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)
「義経=ジンギスカン説」の記事における「松浦静山」の解説
松浦静山は高い知識と教養を身につけていたが、文政4(1821)年から20年書き続けた『甲子夜話』正編巻88では、「義経韃靼に往(ゆき)しは実事なるべし」と記述している。既に同じく巻63では「予『金史』を見るに、批文なし」として「金史別本」を否定し、続編18でも「金史別録(まま)」を偽書と断定し、『図書集成』にも該当する記事がないとしながら、最終的には清祖を義経とする説を紹介している。しかも「愛新覚羅は今の音にて「アシハラ」なり……葦原中洲(あしはらのなかつくに)の訓に通うも何の故にや。亦其れの初めの我が国と続くことも有りてなるか」という論法を展開している。
※この「松浦静山」の解説は、「義経=ジンギスカン説」の解説の一部です。
「松浦静山」を含む「義経=ジンギスカン説」の記事については、「義経=ジンギスカン説」の概要を参照ください。
松浦靜山と同じ種類の言葉
- 松浦靜山のページへのリンク