東芝 歌うプレゼントショー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 15:25 UTC 版)
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『東芝 歌うプレゼントショー』(とうしば うたうプレゼントショー)は、1965年5月から1972年9月までTBSで放送されていた歌謡番組である。東芝音楽工業(後の東芝EMI → EMIミュージック・ジャパン、現・ユニバーサルミュージック・EMI Records Japan)の協賛番組としてスタートし、同社所属歌手たちが出演していたが、途中からエスエス製薬、パラゾール白元本舗(鎌田商会)(現・白元アース)の2社提供となり、番組タイトルからも「東芝」の文字が取れ、『歌うプレゼントショー』となった。
司会
放送時間
いずれも日本標準時。
- 日曜 15:30 - 16:00 (1965年5月 - 1965年7月)
- 日曜 14:30 - 15:00 (1965年8月 - 1969年9月) - 15:00まで放送の『ナショナル日曜観劇会』が終了したのに伴い、以後は60分繰り上げて放送。
- 土曜 14:00 - 14:30 (1969年10月 - 1970年3月) - 日曜14:30枠で『サンテお笑い笑』がスタートしたのに伴い、放送曜日を変更。
- 日曜 14:30 - 15:00 (1970年4月 - 1972年9月) - 『サンテお笑い笑』の後継番組である『喜利喜利ショー』が終了したのに伴い、日曜14:30枠へ復帰。
出典
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- 『放送学研究:午後の時間帯』日本放送協会総合放送文化研究所、1981年、237頁、247 - 250頁、331頁。
関連項目
- 東芝歌謡ショー - 前身番組。
- 家族そろって歌合戦 - 日曜14:30枠時代、直前の時間帯に放送されていた歌謡番組。
TBS 日曜15:30枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
東芝歌謡ショー
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東芝 歌うプレゼントショー
(1965年5月 - 1965年7月) |
日曜寄席
|
TBS 日曜14:30枠 | ||
東芝 歌うプレゼントショー(途中から『歌うプレゼントショー』に改題)
(1965年8月 - 1969年9月) |
サンテお笑い笑
|
|
TBS 土曜14:00枠 | ||
土曜寄席
※13:30 - 14:30 |
歌うプレゼントショー
(1969年10月4日 - 1970年3月) |
お笑い花月劇場
※14:00 - 15:00 |
TBS 日曜14:30枠 | ||
喜利喜利ショー
|
歌うプレゼントショー
(1970年4月 - 1972年9月) |
オーケストラがやって来た
(1972年10月1日 - 1978年3月26日) |
「東芝 歌うプレゼントショー」の例文・使い方・用例・文例
- いまいち東芝は信用できない。
- 東芝の岡村正社長は「21世紀の覇者となれるよう,共に前進しよう。」と語った。
- 東芝,松下電器産業,三洋電機と日本貿易振興機構(ジェトロ)は,中国の調査会社の協力で,コワントン(広東)省の大規模な地下工場を特定した。
- ソニーはブルーレイディスクを促進し,一方,東芝やNECはライバルのHD DVDを支持している。
- 三洋電機と東芝コンシューママーケティングのドラム式洗濯乾燥機は,エラーメッセージの意味を使用者に言葉で伝える。
- 試合の終盤に,東芝府中が猛攻をかけたが,NECの守備陣がよいプレーをした。
- 「苦しい試合だった。手がかじかんだ。ボールが滑りやすかった。」と東芝府中の主将は試合後に語った。
- 東芝府中にとって,この引き分けはトップリーグやマイクロソフトカップでの主要な優勝に続くものだった。
- 東芝は自社の120年に渡る白熱電球製造の歴史に終止符を打った。
- 白熱舎は東芝の前身企業の1つである。
- 東芝の見積もりによると,同社は一般用途の白熱電球の製造を中止することによって,二酸化炭素の排出を年間43万トン削減する見通しだ。
- 東芝はLED事業を現在の200億円から2015年までに3500億円に拡大することをめざしている。
- 東芝の新しいテレビは初めて4K放送受信機を内蔵して発売される。
- 東芝の新しいテレビは50,58,65インチ型がある。
- 東芝は4K対応テレビが一般市民に受け入れられることを願っている。
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