来歴・人物・その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 00:59 UTC 版)
1940年、東京都中央区の聖路加国際病院で田中誠として産声を上げる、 1947年、東京都港区立白金小学校に入学、幼いころから落語好きだった。 1954年、明治学院中学校・明治学院東村山高等学校に入学。高校時代は上野にある寄席、鈴本演芸場に通った。高校2年のとき落語家を志す。 1959年、高校を卒業。五代目柳家小さんに弟子入り。7年余り修行する。前座名は師匠初の芸名でもある「栗の助」、4月21日に初高座。 1963年、二ツ目となり、柳家小三太。 1966年、芸に行き詰まり苦悩。函館に移住し、労音専従事務局員として活動開始。 1968年、「東から歴史を作り上げ、夢を持って人を助ける」の義で東家夢助と改名、出前落語活動を開始する。 1969年、函館民族芸能を守る会を発足、所属する。以後東京・大阪の落語家を招き、落語会、函館寄席を主催する一方、函館市内の町内寄席、職場寄席を開催。 1970年、3月25日に永田慶子と結婚。 1990年、夢助事務所設立。 1991年、NHK函館放送局発信のラジオ番組で自叙伝を放送。 1992年、直木賞作家・高橋義夫著「鄙風堂々」で紹介される。 2018年3月に亡くなった。77歳没。 生前はアマチュア落語家を集めた「全国落語大学」学長を努めた。 著書に、『はい、出前落語です』がある。 弟子に、東家喜夢知(きむち)。講釈師の荒到夢形。
※この「来歴・人物・その他」の解説は、「東家夢助」の解説の一部です。
「来歴・人物・その他」を含む「東家夢助」の記事については、「東家夢助」の概要を参照ください。
- 来歴・人物・その他のページへのリンク