本の友の家
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「アドリエンヌ・モニエ」の記事における「本の友の家」の解説
第一次世界大戦中の1915年11月15日、23歳のときにパリ6区オデオン通り7番地に書店「本の友の家(La Maison des Amis des Livres)」を開店した。彼女は1951年に閉店するまで36年にわたってこの書店を経営し、戦間期の1920年代から30年代にかけて多くの文学者が集まった場所、とりわけ、当時次々と起こった前衛文学運動の拠点の一つとして文化史に名を残すことになった。「本の友の家」は当初、書籍を販売する書店というより、むしろ貸し出しを中心とする図書館の役割を担っていた。本を借りるためにはまず「本の友の家」の会員になる必要があった。モニエはこの会費を書店の運営費に充て、フローベール、ボードレールから同時代の作家まで、とりわけ、象徴派の詩人からポール・フォール(フランス語版)、パスカル・ピア(フランス語版)、ジュール・ロマン、レオン=ポール・ファルグ、ポール・クローデル、フランシス・ジャム、サン=ジョン・ペルス、アンドレ・ジッド、ポール・ヴァレリー、アンドレ・サルモン(フランス語版)、マックス・ジャコブ、ギヨーム・アポリネール、ブレーズ・サンドラール、ジャン・ポーラン、ジャン・カスーまで新しい傾向の文学作品や評論を次々と紹介した。戦時中、軍医補として動員されたアンドレ・ブルトンとルイ・アラゴンが休暇中に立ち寄ったのもモニエの書店であり、戦間期にはダダイスト、シュルリアリストの拠点ともなり、トリスタン・ツァラ、ジャック・リゴー(フランス語版)、フィリップ・スーポー、ピエール・ルヴェルディ、ルネ・シャールらも会員となった。ブルトンは「本の友の家」を「当時の様々な思想が生まれた、最も魅力的な場所」と称した。後に会員になったシモーヌ・ド・ボーヴォワールは回想録『娘時代』や『女ざかり』で、店主モニエのことや抱えきれないほど多くの本を借りて帰ったことなどに触れている。作家や評論家だけでなく大学の教員や学生なども会員で、1919年には「ガリマール書店」を設立したガストン・ガリマールや映画監督のルネ・クレール、後に精神分析家のジャック・ラカンらも常連となった。創業から5年後の1920年の会員数は580人、蔵書は1926年に18,400冊に達した。
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