木造平子重経とは? わかりやすく解説

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木造平子重経(沙弥西仁)坐像

主名称: 木造平子重経(沙弥西仁)坐像
指定番号 3432
枝番 00
指定年月日 1992.06.22(平成4.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  平子重経は周防国在地領主で、建久八年一一九七)仁保庄および恒富保の地頭に補せられ、のち出家して西仁と号し貞応三年一二二四)子息地頭職譲与したことが平子氏本領相伝重書案」(『三浦家文書所収)に引く当時文書類等によりわかる人物である。相州三浦氏支流連なり源頼朝御家人として戦功あったために仁保など五箇地を賜って周防国下向したと伝える。頼朝死後菩提を弔うために仁保庄に源久寺建立したといい、本像はその開基像として伝えられ材の寄木造彩色玉眼嵌入の像である。
 現在、右前膊に補修改変があり、当初両手掌を内に向けて数珠繰る姿であった思われる剃髪して西仁と号した晩年の姿を表したものであろう
 口を一文字に引結び、頬骨張った意志の強そうな面貌背筋のばして端坐する姿勢に力がこもる。胸から腹へと量を増す骨格たくまし体躯いかにも激動期生きた武人の姿をほうふつとさせ、また曲がった鼻梁口許など像主の身体的特徴生々しく表現されている。両腋や両臂外側など衣文各所の深い彫り込みにより像に動感立体感与えられ、その処理に多少破綻を示す反面、いまだ形式化に陥らぬ生き生きとした力強さ看取される。こうした点や頭体躯幹部通して正中線左右二材を矧ぎ寄せ、割首とする技法から見て近世記録貞応三年伝える重経歿年からあまり時を隔て時期制作されたものと推定される。なお玉眼を前面より嵌入するのは類例見ない技法である。荒々しく力強い作風を示す鎌倉時代肖像彫刻異色といえる



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