横須賀ススム
(望月享 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/12 20:12 UTC 版)
横須賀 ススム(よこすか すすむ、1978年2月18日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名・旧リングネームは、望月 享(もちづき すすむ)。神奈川県横須賀市出身。血液型B型。DRAGON GATE所属。2002年〜2011年までは横須賀 享(よこすか すすむ)として活動し、2017年10月~2022年5月まで横須賀ススムを名乗り、2022年5月から望月ススムとして活動。2024年4月から再び横須賀ススムとして活動する。
- 1 横須賀ススムとは
- 2 横須賀ススムの概要
望月 享
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 17:37 UTC 版)
中学卒業後に新日本プロレスの入門テストを受けたが不合格になり、後に、みちのくプロレスへ入門したが人間関係が原因でデビュー前に退団。 1997年、闘龍門の3期生としてメキシコへ渡り、1998年11月22日に本名の望月享としてプロレスデビューを果たした。デビュー戦直後に闘龍門の若手選手によって行われる大会「ヤングドラゴン杯」にエントリーされるも初戦敗退(この時の優勝者は堀口元気)。翌年の“ヤングドラゴン杯”にも参加したが、結果は準決勝敗退。しかし、この大会後をきっかけに前々から意気投合した神田裕之と共にルードに転向する。 2000年1月2日にメキシコで行われたIWRGインターコンチネンタル・タッグ初代王座決定トーナメントに、神田裕之と出場。見事にトーナメントを制覇し、初代IWRGタッグ王座を獲得。その後もタッグ戦での実力を存分に発揮して注目されるようになる。 2000年3月5日、IWRGタッグ王座戦に敗れ王座陥落するも、裁定に納得できずに神戸大会をボイコットし、直後にメキシコに渡る。1か月後に帰国し、突如福岡大会に現れる。その大会で無理矢理試合に参戦することを要求。その試合後にCRAZY-MAXに襲撃されてしまうが、当時闘龍門にフリーで参戦していた望月成晃に救出される。これがきっかけになり4月25日に望月成晃、神田裕之とM2Kを結成する。また、タッグ戦線だけに留まらず英連邦ジュニアヘビー級王座やNWAウェルター級王座などのシングル王座も積極的に挑戦し、NWAウェルター級王座の獲得は成功した。 2002年2月24日に不完全燃焼がユニットの銘だったM2Kに、突如リーダーの望月成晃が完全決着推進のスローガンを掲げ、意見の違いから2人の間に遺恨が生まれる。そして「闘龍門に望月は2人もいらない」という理由から、自分と同姓である望月成晃と、「モチヅキ・コントラ・モチヅキ」という互いの姓字を賭けたコントラ・マッチを行い、敗退。試合前の条件により、リングネームを出身地にちなんだ横須賀享に改めた。
※この「望月 享」の解説は、「横須賀ススム」の解説の一部です。
「望月 享」を含む「横須賀ススム」の記事については、「横須賀ススム」の概要を参照ください。
- 望月享のページへのリンク