景聰禅師の主な語録等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 06:08 UTC 版)
虚堂録景聰臆断 碧巌集景聰臆断 禅儀外文臆断 駒沢大学図書館所蔵 景聡興勗 (1508−1592) 撰 『禪儀外文集』は臨済宗聖一派の虎関師錬(海蔵和尚、1278−1346)が編集したものであり、宋代の禅僧の入院開堂の疏・榜や尊宿入寂の祭文で模範となる作品を収録している。全体は疏・榜・祭文の三つに分かれ、疏には山門・諸山・江湖・雑疏を、榜には茶・湯を、祭文には山門・諸山・江湖・雑祭をそれぞれ収めている。 詳細は既公開資料(二点)の解題をも参照願いたい。本書はその注釈書で、所謂抄物である。抄物には漢文の真名抄と片仮名交じり文を以って筆録した仮名抄がある。本仮名抄の撰述者は景聡興勗である。 興勗は、臨下の妙心寺派下東海派(悟渓宗頓、1416−1500)玉浦門派に属する学僧。妙心寺に掛錫して、玉浦宗珉(?−1519)の法を嗣ぐ。美濃(岐阜)汾陽寺に住して碧巌録を講じたという。後年、同国道樹寺を開いて、第1世となる。天正20年(1592)8月25日85歳で示寂し、終生黒衣で通したという。 著作に『虚堂録景聰臆断』、『碧巌集景聰臆断』など宗門七種解と呼ばれる、祖録類の講述を行った。その講案には某々「臆断」という名が付けられた。同じ臨済宗の中でも、系統でその違いが指摘されている。五山派禅僧は、外典の抄が大部分で、字句の解釈注解を主とし、世評や噂話を取り入れたものであった。これに対し、妙心寺派下の抄は講述に脱線が少なく、字句の解釈より、宗旨深奥の体得を目指したものであった(注1)。本書には、書写者、書写年に関わる記載が無い。納入時の慶長年間写は根拠不明である。なお、岩崎文庫の解題に、所蔵の鈔の成立年は天文八年(1539)云々との奥書がある(注2)が、干支の記載から判断して、天文18年(1549)と思われ、本書の成立年は後者のようである。(注1)玉村竹二著『松ヶ岡文庫所蔵禅籍抄物集解題』書評と紹介(『鈴木学術財団研究年報』14(一九七七)所収(注2)『岩崎文庫貴重書書誌解題』1(一九九〇)P21
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