昭和殉難者としての靖国神社合祀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 22:17 UTC 版)
「A級戦犯」の記事における「昭和殉難者としての靖国神社合祀」の解説
「靖国神社問題」を参照 1978年(昭和53年)、靖国神社が死刑及び獄中死(平沼騏一郎は、病気仮釈放後の死去)の14名を「昭和時代の殉難者」として合祀した。靖国に戦死者以外が合祀されることは例外的であった。また、広田弘毅など非軍人を合祀したことでも例外的な措置であった。死亡の理由は「法務死」となっている。 板垣征四郎 梅津美治郎 木村兵太郎 小磯国昭 白鳥敏夫 土肥原賢二 東郷茂徳 東條英機 永野修身 平沼騏一郎 広田弘毅 松井石根 松岡洋右 武藤章 靖国神社のA級戦犯合祀問題の是非やそれに対し首相ら閣僚が参拝することに関しては非難する意見と個人の思想信条の自由という意見がある。1985年に内閣総理大臣・中曽根康弘(元海軍主計少佐)が靖国神社を公式と称して参拝(記者達の質問に対し「内閣総理大臣たる中曽根康弘として参拝」とコメント)した後、「靖国神社の国家護持」を唱える千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長の瀬島龍三(元関東軍参謀陸軍中佐)と合祀取り下げ論を話し始めた。 第3次小泉内閣下において民主党の野田佳彦国会対策委員長は「『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻していると解釈できる」とし、「戦犯」の名誉回復および極東国際軍事裁判に対する政府の見解と内閣総理大臣の靖国神社参拝について質問を行った。これに対して2005年10月25日に提出した答弁書において、政府は第二次大戦後極東国際軍事裁判所やその他の連合国戦争犯罪法廷が科した各級の罪により戦争犯罪人とされた(A級戦犯を含む)軍人、軍属らが死刑や禁固刑などを受けたことについて、「我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」とした一方で、戦犯の名誉回復については「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではないとして、判断を避けた。首相の靖国神社参拝に関しては公式参拝であっても、「宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合には、日本国憲法第20条第3項(国の宗教的活動禁止)に抵触しない」との見解を示している。
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