明治31年から昭和17年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:51 UTC 版)
「海防艦」の記事における「明治31年から昭和17年まで」の解説
1898年(明治31年)3月21日、日本海軍は海防艦という艦種を新設する。旧式化した戦艦や巡洋艦(装甲巡洋艦、防護巡洋艦)を海防艦として類別し、軍艦籍のまま近海・沿岸の防備に用いることになった(以下「旧定義艦」)。当初は、計画排水量7000トン以上の海防艦を一等海防艦、7000トン未満3500トン以上の海防艦を二等海防艦、3500トン未満の海防艦を三等海防艦と定義(1912年8月28日、三等海防艦の等級廃止。1931年6月1日、等級廃止)。これらの海防艦は、領海警備、拠点防衛、海上護衛、母艦任務、練習艦等、多岐にわたる任務に従事した。例えば1920年(大正9年)の尼港事件(シベリア出兵)では、海防艦見島(元ロシア軍艦アドミラール・セニャーヴィン)が砕氷艦として出動している。上海事変以降の日中戦争では、海防艦出雲(元装甲巡洋艦)が上海に進出し、第三艦隊や支那方面艦隊旗艦として作戦を指揮した。姉妹艦磐手と八雲は、練習艦隊を編成して多くの海軍士官を送り出した。二等海防艦新高(元防護巡洋艦)のように、オホーツク海での漁業保護活動中に遭難した艦もあった。 これらの旧定義艦に対し1942年(昭和17年)7月の変更後は、小型で対潜水艦能力を備えた海上護衛用艦艇を「海防艦」と改めた。
※この「明治31年から昭和17年まで」の解説は、「海防艦」の解説の一部です。
「明治31年から昭和17年まで」を含む「海防艦」の記事については、「海防艦」の概要を参照ください。
- 明治31年から昭和17年までのページへのリンク