明治34年の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 19:33 UTC 版)
「新潟市の行政区域の変遷」の記事における「明治34年の合併」の解説
1889年(明治22年)の町村合併は、「市制」・「町村制」の施行に伴って、国から委任された行政事務を円滑に行うことができる行政能力を備えた独立の町村とすることが目的であったが、各町村の反対によりその意図を十分に果たせなかった。 新潟県の町村の規模は全国的にみると小さく、300戸に満たない町村が全体の55%に達していた。就学率が上昇するにつれて学校を建てて教員を増やさなければならなかったが、財政の問題から一村で学校を設置できず、何ヶ村かで学区組合を作って学校を運営している所が多かった。 こうした村々を地理条件や民情を考慮しながら、より強い大町村に変えることが必要であると考えた新潟県は、1901年(明治34年)に新潟県独自で町村合併を実施することにした。この大合併で現市域内の市町村は、1市・67町村になった。
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