明治2年の上田騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 09:57 UTC 版)
幕末の政情不安に加え、偽二分金(チャラ金騒動)の流通から使用停止令が下され、農村の経済が混乱したことにより、明治2年(1869年)8月16日、上田藩入奈良本村で発生した世直し一揆は他村を巻き込んで勢力を拡大し、翌17日には上田城下に乱入した。一揆勢は、版籍奉還により上田藩知事となっていた松平忠礼に強訴するとともに商店、富農への打ちこわし、焼き討ちを行った。農民らの訴えは受け入れられ、騒動は数日で収束した。再発の恐れがなくなった11月になり首謀者が捕らえられ、首謀者の百姓九郎右衛門が斬首、百姓3人が永牢となった。この騒動では上田藩内の庄屋、商店など590戸が被害を受けたと伝えられている。騒動を記録したものに「信州上田騒動右物語」がある。
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