旧日光市庁舎本館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 14:02 UTC 版)
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正面
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情報 | |
旧名称 | 大名ホテル 古河電工工員アパート 日光町役場 日光市役所 日光市役所日光総合支所 日光市役所日光行政センター |
旧用途 | 日光市役所[1] |
建築主 | 小林庄一郎[2] |
構造形式 | 木造[3] |
敷地面積 | 3,239.4 m² [4] |
建築面積 | 1,156.1 m² [4] |
延床面積 | 2,461.7 m² [4] |
階数 | 地上4階[4] |
高さ | 約23 m[4] |
着工 | 1905年[2] |
竣工 | 大正初期[2](1919年頃[4]) |
所在地 | 〒321-1402 栃木県日光市中鉢石町999番地[2] |
座標 | 北緯36度45分03.07秒 東経139度36分26.47秒 / 北緯36.7508528度 東経139.6073528度座標: 北緯36度45分03.07秒 東経139度36分26.47秒 / 北緯36.7508528度 東経139.6073528度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2006年3月2日 |
旧日光市庁舎本館(きゅうにっこうしちょうしゃほんかん)は、栃木県日光市中鉢石町にある建築物。訪日外国人旅行者を対象としたホテルとして大正時代に建築されたが、実際にはホテルとして営業したことはなく、寮や市役所などとして利用された[3]。登録有形文化財、近代化産業遺産、日光市指定景観重要建造物[4]。
歴史
訪日外国人相手に古美術品を販売する骨董品店を営んでいた小林庄一郎は、外国人の宿泊を企図して「大名ホテル」の建設に着手した[2]。徳川氏ゆかりの地であることから、「大名」というホテル名を採用した[4]。1905年(明治35年)に着工したが、第一次世界大戦が勃発し日光を訪れる外国人観光客が激減したため、ホテルとして開業するには至らなかった[2]。ホテルの建築時期については諸説あるが、大正初期に完成したとみられ[2]、日光市当局は1919年(大正8年)にほぼ完成したと解説している[4]。なお、建設途上の1915年(大正4年)頃に、小林の息子が撮影した建物内外の写真乾板が残っており、2004年(平成16年)7月12日に小林の孫が市に寄贈した[5]。建設費は当時の価格で35万円、2020年(令和2年)の貨幣価値で10数億円かかったという[4]。
1943年(昭和18年)、建物は古河電気工業(古河電工)日光精銅所へ売却され、同社の工員のアパートとして利用された[2][4]。第二次世界大戦後は、進駐軍の社交の場として一時利用された[2][4]。1948年(昭和23年)に古河電工から[2]上都賀郡日光町へ寄付され[2][4]、1952年(昭和27年)7月から日光町役場本庁舎となった[5]。この時、上鉢石町から中鉢石町へ移された[2]。1954年(昭和29年)に市制施行すると、そのまま日光市役所本庁舎になった[4]。進駐軍がダンスホールに使った広い部屋は、市議会議事堂に転用された[6]。
旧・日光市時代の末期にあたる2000年代には「木造最古の市庁舎」であった[1][5]。文化審議会は2005年(平成17年)11月18日、日光市役所庁舎を登録有形文化財とするよう答申し[7]、2006年(平成18年)3月2日に登録有形文化財に登録された[4]。旧・日光市は2006年(平成18年)3月20日に今市市、上都賀郡足尾町、塩谷郡藤原町・栗山村の2市2町1村で合併し、新・日光市となった[8]。新しい日光市の市役所本庁舎は旧・今市市役所へ移り、旧・日光市役所は日光市役所日光総合支所に変わった[6][9]。2007年(平成19年)度には、近代化産業遺産「日光金谷ホテルと日光観光関連遺産」の構成資産の1つとして認定された[4]。
2010年(平成22年)には、執務に使用しなくなった2階の大会議室、3階の正副議長室・委員会室・議会事務局などの一般公開を開始し、職員が手隙であれば館内を案内するようになった[6]。組織改正によって日光市役所日光行政センターに改名してからも、木造庁舎を使用し続けていたが、2018年(平成30年)3月に日光行政センターは新庁舎へ移転し、役所としての役目を終えた[4]。2020年(令和2年)1月6日、日光市は景観重要建造物に指定した[4]。日光市が指定した景観重要建造物の第1号であり、2022年(令和4年)現在、日光市唯一の景観重要建造物である[4]。市では旧日光市庁舎の周辺を公園として整備を進めており、旧日光市庁舎自体の改修工事も実施している[10]。
建築
城郭(天守閣)風の入母屋造で[3]、地上4階建て[4]、高さ8 mの石垣の上に建つ[1][7]。木造建築物であり、当時としては珍しいベイマツを建材に採用している[6]。屋根には千鳥破風[1]を載せ、波の上に龍が乗った彫刻が施されている[1]。元は屋根に金のしゃちほこが載っていた[1]。縦型の上げ下げ窓、間仕切り、階段は洋風であるが、手すりの手すり子・笠木などに彫刻があり、金粉で仕上げている[1]。
脚注
- ^ a b c d e f g 岡田・市田 2020, p. 95.
- ^ a b c d e f g h i j k l 岡田・市田 2020, p. 94.
- ^ a b c 岡田・市田 2020, pp. 94–95.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “景観重要建造物・樹木”. 日光市建設部都市計画課都市計画係 (2020年2月4日). 2022年3月6日閲覧。
- ^ a b c "「ガラス乾板」ネガ、小林さんが市に寄贈 日光市役所庁舎建設の様子を撮影"毎日新聞2004年7月14日付朝刊、栃木版26ページ
- ^ a b c d 服部肇「外国人宿舎用に建設→庁舎に 旧日光市役所の一部公開」朝日新聞2010年4月15日付朝刊、栃木版31ページ
- ^ a b 「9件を有形文化財に 文化審議会 文科相に答申」読売新聞2005年11月19日付朝刊、栃木2、32ページ
- ^ 日光市 2008, ページ番号なし(日光市の概要).
- ^ 組織編制専門調整チーム 2006, p. 2.
- ^ “栃木県日光市 旧日光市役所日光総合支所 改修工事 文化遺産”. リフォームの森 (2020年10月11日). 2022年3月6日閲覧。
参考文献
- 岡田義治・市田登『栃木の近代化遺産を歩く―建築に見る明治・大正・昭和―』随想舎、2020年4月24日、166頁。ISBN 978-4-88748-381-1。
- 『新市公共施設の名称(新旧対照表)』組織編制専門調整チーム、2006年1月、21頁。
- 『図書館要覧 平成20年度』日光市、2008年、43頁。
関連項目
外部リンク
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