旧制大学への昇格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 00:57 UTC 版)
「宗教系旧制専門学校」の記事における「旧制大学への昇格」の解説
宗教系専門学校のなかには専門学校令準拠の前後から「大学」と改称するものが出てきたが、もちろんこの時点で大学は帝国大学以外には存在しないので、これらはもちろん自称にすぎず制度上の実体はあくまで専門学校であった。これらの学校が名実ともに大学(旧制)になるのは1919年4月に大学令が施行(公布は前年12月)されて以降のことである。宗教系学校のなかで最初に大学昇格を果たしたのは1920年、キリスト教系の同志社大学および神道系の國學院大學であり、ついで翌々年1922年には仏教系の龍谷と大谷、キリスト教系の立教が大学に昇格し、戦前の大学令のもと合計で仏教系は6校、キリスト教系は4校、神道系は2校に及んだ。仏教系学校の場合、大学令準拠以前の「大学」自称時代には、例えば龍谷が「仏教大学」(現在の佛教大学とは別)、大谷が「真宗大谷大学」を称するなど特定宗派名を校名に冠することもあったが、大学昇格にともないこれらの大学はより宗派色の薄いニュートラルな名称に改めることをよぎなくされた。また、神学部や仏教学部など、独立学部を置いて教義研究をおこなうことは認められず(同志社は神学部の設置を計画していたが文部省との折衝のなかで断念し、文学部内に神学科を設置した)、多くの場合文学部のなかに設置された宗教学科・仏教学科がそれらの活動を担った(なお、先述したように宗教教育の維持を選び、大学に昇格せず[独自研究?]専門学校のまま止まった学校(明治学院・青山学院・東北学院など)は、「神学部」を設置することもあった。同志社大学のように旧制専門学校を附置し、そのなかに神学部を置いたケースもある)。仏教系・キリスト教系学校での宗教教育への規制に対し、対照的だったのは神道系大学(國學院・神宮皇學館)である。これらの大学では神道は国体の祭式であって「非宗教」である以上、その教育は「宗教教育」に相当しないという政府の公式見解から宗教教育への自粛を求められることはなかったのである。戦時体制下、神宮皇學館は皇紀2600年を記念し大学に昇格した。
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