旧制夕陽丘高等女学校
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「大阪府立夕陽丘高等学校」の記事における「旧制夕陽丘高等女学校」の解説
1908年11月には大阪市南区天王寺夕陽丘町(現在の大阪市天王寺区夕陽丘町)の校舎に移転した。移転直後の1909年1月18日付で、移転先の地名をとった大阪府立夕陽丘高等女学校へと改称している。 創設当初は4年制だったが、1921年度入学生より修業年限が5年となっている。 1934年5月、大阪府女子師範学校および附属小学校・附属幼稚園 の跡地である現在地(学校周辺の地名は当時、天王寺北山町であり、広域地名では桃山と呼ばれていた)に校舎を新築し移転した。大阪府の旧制中学校・高等女学校では学校名は学校所在地の地名を付けることが原則とされ、学校移転を経た際には移転先の地名を取った校名に変更することが通例だったが、移転後の改称は反対運動が起こったため見送られている。 太平洋戦争の影響で、1944年には3年生以上の生徒が勤労動員の対象となり、また1945年には戦時の臨時措置として4年制へと短縮された。1945年6月15日の第3回大阪大空襲では学校周辺に大きな被害を受けたが、校舎への被害は免れた。
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