旧・総門「大門」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 04:42 UTC 版)
周辺の地名や駅名としても使われている「大門」は、増上寺の旧・総門のことを指す。 大門は、増上寺が明治維新の上地令により寺領が奪われるなどして経済的に困窮し維持できなくなったため東京府に寄付され、東京府の所有となっていた。前述の通り、現在の大門は1937年(昭和12年)に東京市が市民の寄付を募って従来の意匠のまま高さを1.5倍の5.25mにし、コンクリート造りで改築したものであるが、その後何らかの理由で東京都の財産目録から抜け落ちてしまい、所有者が確認できなくなっていた。 増上寺では1974年(昭和49年)頃から東京都に対し境内整備の一環として大門の譲与を求めていたが、東京都から「財産目録にないものは譲与できない」とされて応じられず、長らく所有者不明のまま放置されてきた。その影響もあって大門は老朽化が進んでしまい、東日本大震災で瓦の一部が落下して安全性に不安が示されたこともあって、2011年(平成23年)に地元企業で作る「大門振興会」から増上寺に対し大門の塗り替えの依頼がなされたことからマスコミなどでもこの問題が取り上げられて返還の機運が高まった。 その後、東京都が調査を行い、都の所有物であり都の財産台帳から誤って抹消されたものであると認めると同時に、大門の建物としての鑑定を行い資産的価値はないものとして増上寺に無償で譲与することを決定。2016年(平成28年)3月25日に東京都と増上寺の間で契約書を取り交わし、東京都から増上寺に返還された。 2016年(平成28年)4月現在、増上寺は港区に対し大門の文化財登録を申請しており、港区はこの申請をもって区道上にある大門の道路占有料を免除するとの方針を示している。 2017年(平成29年)、増上寺により耐震調査の上、耐震補強・外観化粧直しが行われた。
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