日産自動車、横浜マリノスとは? わかりやすく解説

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日産自動車、横浜マリノス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 11:37 UTC 版)

カルロス・レナト・フレデリコ」の記事における「日産自動車、横浜マリノス」の解説

1989年夏、サンパウロ時代同僚オスカーからの誘い受けて日本サッカーリーグ (JSL) 1部日産自動車サッカー部加入同年8月合流後初の公式戦となったアジアクラブ選手権1989-90予選ラウンド中国瀋陽市集中開催)では、第2戦のハップ・カン戦で4得点。1989-90シーズンの幕開けとなる第14回JSLカップでは、決勝ヤマハ発動機戦こそ暑さにより精彩欠き無得点終わったものの、2回戦川崎製鉄戦、3回戦全日空戦、フジタ戦といずれも先制点をあげる活躍見せたまた、同年10月1日行われたJSLオールスターサッカーでは同僚木村和司水沼貴史とともにWEST選手として出場し水沼アシストから1得点決めた加入当初中盤での起用となったが、シーズン半ばからフォワード定着同年冬の第69回天皇杯では準決勝読売クラブ戦で決勝ゴール決勝ヤマハ発動機戦でも同点ゴールをあげて優勝貢献したリーグ戦では優勝行方左右する一戦となった15節の古河電工戦で1得点1アシスト活躍、第11節と第22節の日製作所戦でのハットトリックを含む17得点をあげて得点王となり、リーグ優勝貢献した。 翌1990-91シーズンは、第15回JSLカップ決勝古河電工戦では先制ゴール決めて優勝貢献したリーグ戦では読売クラブ競り負け3連覇逃したものの、自身10得点をあげて2年連続得点王となった戸塚哲也北沢豪同時受賞)。 1991-92シーズン第71回天皇杯決勝読売クラブ戦ではエバートン先制点に繋がる飛び出し見せると、1-1同点迎えた延長戦では水沼の左クロス相手DF背負いながら後方落とし木村和決勝点アシストした。さらに前線での巧みキープから山田隆裕3点目のゴールアシストし終了間際にはダメ押しとなる4点目のゴールをあげるなど全得点絡み優勝貢献したリーグ戦では1992年1月26日行われた14節のトヨタ自動車戦を最後に欠場続いたため3季連続得点王逃したものの、2月7日行われた第2回アジアカップウィナーズカップ決勝アル・ナスルとの第2戦ではハットトリック決め大会制覇貢献した同年プロ化により横浜マリノス移行後もチーム在籍成長株神野卓哉ポジションを争うことになったが、ナビスコカップでは第4節サンフレッチェ広島戦での1得点第72回天皇杯では無得点終わった1993年1月17日行われた第3回アジアカップウィナーズカップ決勝ペルセポリスFCとの第1戦が日産および横浜Mでの最後試合出場となり、0-1スコア迎えた82分に山田クロスから左足ゴール決めラストゲーム飾った

※この「日産自動車、横浜マリノス」の解説は、「カルロス・レナト・フレデリコ」の解説の一部です。
「日産自動車、横浜マリノス」を含む「カルロス・レナト・フレデリコ」の記事については、「カルロス・レナト・フレデリコ」の概要を参照ください。

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