日産自動車の興りとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日産自動車の興りの意味・解説 

日産自動車の興り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:21 UTC 版)

日産自動車」の記事における「日産自動車の興り」の解説

1905年に、鮎川義介最先端技術であった鋳物技術習得渡米した際に、米国工業頂点自動車工業があると見たことに端を発する義介帰国後、大叔父井上 馨斡旋により、親戚久原家、貝島家、藤田家三井家出資を受け、1910年戸畑鋳物株式会社(現在の日立金属)を創設し義介専務技師長となり鋼管製造傍ら1924年大正13年)には農業用工業用船舶用石油発動機製造販売事業発展させた。戸畑鋳物東京製作所深川)を新設し1929年昭和4年)に自動車用マレブル鋳鉄製造始め一方で久原家が興した久原鉱業社長に就任して同社改組し、1928年昭和3年)に日本産業株式会社(略称、日産)とした。後の日本産業コンツェルンの基となる。 戸畑鋳物株式会社傘下として、1931年ダット自動車製造株式会社収めるものの、1933年昭和8年ダット自動車製造株式会社が、株式会社石川島自動車製作所合併し自動車工業株式会社現在のいすゞ自動車)を設立するに際して戸畑鋳物株式会社ダットサン商標製造、および、大阪工場無償譲り受け日本産業株式会社出資加えて同年12月に、新ためてダットサン製造のために自動車製造株式会社設立する同社を、翌1934年昭和9年)に日産自動車株式会社改称したのが、興りである。 なお、先の自動車工業株式会社は、橋本増治郎1911年設立した快進社ルーツであり、1914年誕生したダット号が初の自動車開発・製造であった。しかし、ダットサン知財大阪工場得たのは日産であった

※この「日産自動車の興り」の解説は、「日産自動車」の解説の一部です。
「日産自動車の興り」を含む「日産自動車」の記事については、「日産自動車」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日産自動車の興り」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日産自動車の興り」の関連用語

日産自動車の興りのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日産自動車の興りのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日産自動車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS